ここが河岸道!?菓子とタイヤを載せて…③ | 力太郎のブログ

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近所の散策や自転車いじりとか…

前回のブログから間が空いて…何の続きだったのでしょうか?汗

自分が住む地域(ふじみ野市)だと三ヶ島街道、向こう側(所沢市など)からは古市場街道と呼ばれる河岸街道を通って気付いた事を記載しています。

 

ここが河岸道!?菓子とタイヤを載せて…①

ここが河岸道!?菓子とタイヤを載せて…②

 

東武東上線沿線のふじみん(ふじみ野市在住)がLions(所沢市本拠地)のユニフォームを着るのも河岸道繋がりの縁かな?と思う今日この頃…

赤い彗星…京急ラッピングの電車が来ましたね…!?

狭山ヶ丘の駅は構内が広くて…かつての貨物取扱駅だったのでしょうね。

近世、江戸時代から明治期まで新河岸川舟運で栄えた河岸場と村を結ぶ道が総じて河岸道ですが

近郷の村々を結ぶ道は一本だけではないようです。

↑狭山市設置の『歴史の道』新河岸街道(古市場・三ヶ島など)の案内板は分かりやすいですね。

現道と重ね合わせた赤い破線が河岸道のようです。

それぞれの河岸場と村々を結ぶ幾つか河岸道がある中

自分が住む所と今回の目的地へルート探索すると…

途中途切れた箇所あれども…

奇跡的にほぼ一本の道で行ける!?のが驚きでした…

※残念なのは西武新宿線でやや堀切になって車での踏切往来はNG

歴史ある新河岸街道(三ヶ島街道・古市場街道)で

この往来のある狭山市の歴史紹介の案内板で詳しく案内されていました。

でも…

西武池袋線の狭山ヶ丘駅(かつての駅名称は三ヶ島村駅)辺りで三ヶ島街道(古市場街道)と呼ばれる河岸道と思われる往来がどこなのか?分からなくなります…

県道・村道・里道(小径①・小径②)と

比較的近年に出来たであろう道路はそのまま自分の行く目的地(三ヶ島&林周辺)へと繋がっています。

自分が住む所と目的地周辺までは終始、ほぼ緩い勾配が続きます。

東武東上線・上福岡駅周辺・標高20m

県道6号線と交わる 妻恋ヶ原周辺 標高52m

行政道路(国道463号線)と河岸道の交差する辺り 標高88m

西武池袋線・狭山ヶ丘駅周辺 標高 約95m

所沢市林周辺 標高110m

行程15㎞の間に標高20mから110m位までになっています。

途中、河川や丘陵、谷戸を横切る事もなく高低差は然程なく終始、緩やかな一定の片勾配の道です。

 

 

 

 

 

↑目的地近くの神社

この踏まれキャラが興味を持ったのですが…調べると不思議な縁がw

三ヶ島街道(古市場街道)と呼ばれた河岸道が所沢市に入ると何処を辿ったか?定かでは無いですが…

青い線が今回辿った道ですが…赤い線の小径が河岸道①なのか?

手前の緑の線が線路で途切れていますが河岸道②なのでは?とある場所に着いた時に感じました。

ルート探索した時にもう一本、北側の道も?別の河岸道ですが車の往来や途切れた箇所があって真っ直ぐ行ける無難な道を選びました。

河岸道と行政道路が交差する隅に↓見つけました。

どこかに道標になる様な庚申塔や馬頭観音があると古い往来や村境の目印になりますが…見つけられるでしょうか?

西武池袋線を越えて道なりに進むと

和ヶ原二丁目交差点(国道463号線・所沢入間バイパス)

林小学校付近の交差点

グーグルマップで見るとこんな感じで変則的な五差路です。

所沢市周辺のむかしの往来は

実は小手指ヶ原古戦場跡、白旗塚付近の砂川に架かる誓詞橋へ古い時代の各々の道は集約されていますが、林小学校付近で江戸道と合流。

 

交差し少し先で、さらに古い小径と交わる所に…

これは…立派な大木に何かありますね!

追分でしょうか?伐採NGのような伝承があるのか?感じさせる雰囲気で歴史を感じますね。

あれ…

あれだけ生い茂っていた大木は残念ながら伐採されて今は無いです…

でも?

庚申塔ですね!

お参りして台石の部分を見せて頂くと…

 

右 江戸道 ※誓詞橋方面へ(江戸道という名称も複数ありますね)

川越

新川岸(新河岸) 海(街)道

と刻まれて確り読める程、綺麗に残っています。

左側の小径も古くからの河岸道で川越・新河岸方面へ続く往来だったのは間違いないようですが…

現在はバイパスの中央分離帯で途切れたりアンダーパス化されても線路で分断されています。

時代が変わっても交通の要衝にある歴史を感じる庚申塔です。

まずは目的地①に着きましたw

全菓

以前から、一度は訪れたかった場所ですが今回の目的地②と方向が同じで助かりました。

直売所があります。

 

段階的に何百円以上買い物するとオマケが貰えました♪

 

嬉しい税込価格w

後日、何とか?チーズケーキも買いに何度か来ましたが美味しかったです。

経営者の趣味でしょうか?

文明堂の浦和工場に会社の敷地の雰囲気が似てますね。

最近リニューアルしたので行きたいです。

全菓出ると茶畑が…三ヶ島、林地区は狭山茶の産地

止まったのには少し理由があって

危ないので隅に退けた後ですが産廃処理施設の清掃工場があるのか?

狭い道でも大型車が通るので落下したのでしょうね。

吊る時の玉掛けに必要そうですが…大丈夫かな?

お茶屋さんの家の前にも庚申塔。

河岸道かは不明でも歴史ある往来かもしれません。

真っ直ぐ行くと三ヶ島・糀ヶ谷の方へ行けますが右折して

目的地②に着きましたが…

怪しさ半端ない雰囲気ですが運送会社のヤードみたいです。

早く到着し過ぎたので周辺で気になった林地区の鎮守へ

林川 狭山丘陵から不老川へ注いでいるようです。

地図を見ないで水路沿いなどウロウロ走っていると参道の長い神社が!?

流鏑馬ができそうなほど長い参道ですね。

何となく

芭蕉の句碑を探しに訪れた

小川町の八幡神社を思い出す光景でしたが…

春になれば桜並木で綺麗でしょうね。※訪問時は一月頃

神橋を渡って境内へ

先程の林川から分流する谷川(やがわ)が神社境内の入口に流れています。

字重殿原にある林地区の鎮守である林神社

新編武蔵風土記稿によると重殿権現と呼び、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を祀るとありますが

明治期の神社合祀で周辺の小社も境内社で祀られて十代社から林神社へと変わったようです。

チャウチャウ…狛犬…?獅子

なかなか愛らしい獅子像のお出迎えですw

神社へ訪れると決まった定型の様な石工像もあれば、中国で作ったのかな思う真新しい狛犬をよく見ますが…

このふくよかでバランス良いチャウチャウ感はなかなか珍しいですねw

氏子の増田氏が奉献したようですね。

林神社

林神社の由緒

 

 

↑獅子像は昭和十一年に現在の富士見市水子の石工増田芳工 刻とあります。

そんな名石工が水子地区にいらっしゃったようです。

待ち合わせの時間になったので某所へ…

タイヤ14本積めましたw

別の日も…

あとは家に着くまで15kmほど緩~い下り片勾配の道で凄く楽に走れます。

途中にあった歴史の道 狭山市の案内板

 

ここからも近い所の真新しい自治会館前の植え込みに

↑古市場道と刻まれた馬頭観音碑

何度か河岸道を通って洋菓子とタイヤを積んで行き来しましたが周辺散策するとある一族との繋がり?をも感じる道と思いました。

中氷川神社

 

所沢市内に中氷川神社は二つ(所沢市山口と三ヶ島)ありますが、どちらも延喜式に載る由緒ある式内社であるとの事ですが…社伝では確定できないようで不明ですが…

自分が住む地域の鎮守は長宮氷川神社と言います。地名で字観音前にあるのも謎ですが…神仏習合の時代の本地垂迹の名残りでしょうか?

↑新編武蔵風土記稿・福岡村(現・ふじみ野市)に記載ある内容で諸説あるようです。

以前、自分のブログで

何となく古谷?それぞれの古尾谷氏…⑥


以前から古尾谷氏含めて…仲筑後守資信という人物を含めて

仲(中)氏の事が気になっていました。

 

古い旧所沢市史にも記載ありますが

三ヶ島の旧家に伝わる系図や口伝から埼玉苗字辞典にはこのように記載あります。

 

上記記載の家系図の内容を全て信じるに足る内容かは?な面もありますがある人物の卒年の違いが甚だ大きい理由でこじつけとするには詳しく書かれている内容もあります。

 

三ヶ島に字中村とあるそうですが所沢市史地誌編の付録に字名の記載した地図が…

 

 

 

途中分断していたり新旧の道で入り混じって辿れない箇所あれど河岸道を含めた一本の往来を通じて

古市場側と三ヶ島側である一族の接点があるように感じましたが如何でしょうか?

 

今は不要不急の外出は控えていますが…

気になった小径に庚申塔と…㈱中屋本店?

三ヶ島方面はもう少し散策してみたいですね。

 

今日もご覧頂きありがとうございます。