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黒澤明監督・脚本。橋本忍、小国英雄脚本。中井朝一撮影。早坂文雄音楽。55年、東宝配給。


キム・ギドク監督が原発を扱った[The STOP]を撮ったということで、その遥か昔に核の恐怖を小市民の立場から描いた問題作があったことを思い出し、再観してみた、


当時、黒澤映画の音楽を担当していた早坂文雄は結核に苦しんでいたが、彼が新聞でビキニ干渉における水爆実験の記事を読んで、生活を脅かされ安心して暮らせない世になったという発言を発端に、本作は誕生した。これが制作された当時は、かなり強引な設定が、評価を下げてていた部分があったが、福島の原発問題を身近に抱える現代を生きる我々にとって、本作は偶然とはいえ時代を先取りした作品であり、重要な問題提起がなされた映画であり、再注目が必要な作品だろう。


主人公の中島喜一老人を当時三十代の三船が演じているのだが、妾を何人も作る旺盛な生命力に溢れる老人を見事に演じている。老人の核に対する被害妄想は家族たちと確執を生み、本作も前半は調停を求めた家族との家庭裁判所でのシーンが中心に展開する。その裁判を担当する原田(志村喬)の視線から描くことにより、黒澤は客観的な視点で問題提起している。これにより観る側は家族側の言い分、中島老人の考え双方に対して考えさせられる。


都内に鋳物工場を経営しかなりの財産を持つ中島喜一(三船敏郎)は、妻とよとの間に、よし(三好栄子)、一郎((佐田豐)、二郎(千秋実)すえ(青山京子)の二男二女がある、ほか二人の妾とその子供、それにもう一人の妾腹の子の月々の面倒までみていた。その喜一は原水爆弾とその放射能に対して被害妾想に陥り、地球上で安全な土地はもはや南米しかないとして近親者全員のブラジル移住を計画、全財産を抛ってもそれを実行しようとしていた。一郎たちは喜一を放置しておいたら、本人だけでなく近親者全部の生活も破壊されるおそれがあるとして、家庭裁判所に対し、家族一同によって喜一を準禁治産者とする申立てを申請した。家庭裁判所参与員の歯科医原田(志村喬)は死ぬのはやむをえん、だが殺されるのはいやだという喜一の言葉に深く考えさせられるのだった。その後もブラジル行きの計画を実行していく喜一に慌てた息子たちの申請により、第二回の裁判が開かれた。その結果、申立人側の要求通り喜一の準禁治産を認めることになった。喜一の計画は、この裁定にあって挫折してしまった。極度の神経衰弱と疲労で喜一は昏倒した。近親者の間では万一の場合を考えて、中島家の財産をめぐる暗闘が始まった。その夜半、意識を回復した喜一は工場さえなければ皆も一緒にブラジルへ行ってくれると考え…。


ブラジルで農場をやっている老人(東野英治郎)の存在が、喜一のブラジル移民を断行する発想の元になり、彼の助言が喜一を強行に走らせるきっかけになるのも皮肉だ。


東宝のセットに中島工場や都電を全て再現した映像はリアルで、この時代の住居が建て込んだ町の雰囲気が見事に再現されている。キャメラは本作でもマルチカム方式で3台を回し、家族たちが演じる舞台劇のような芝居を余すところなく捉えている。


ラストの精神科医師(中村伸郎)が原田に語る。[狂っているのは彼なのか、我々なのか]という問いかけは、観る側に深い余韻を残し、核の恐怖について考えさせられる。精神病院の登り道を上がってくる原田とすれ違う家族、下る原田と登ってくる妾栗林朝子(根岸明美)と彼が残した幼子。[生きる]ときに使用された明確な対比とまではいかないが象徴的なラストになっている。


なお、本作の不気味な音楽は早坂文雄の遺作となり、彼の死を悼んだ黒澤は彼に捧げるためか、暗転になったあとも二分間流れ続ける。


今、3・11以来原発に対する不安が身近に迫った現代でこそ、見直しでみる価値がある問題作だ。


DVDはレンタルにあります。


黒澤明。[七人の侍][生きる]など。