彼が来た日のことを
今でもはっきり覚えています。
叩かれた犬のような
怯えた目…
おばあちゃまが教育熱心で
私立小に…
しかし
担任の先生とそりが合わず
登校拒否気味で…
パパは「受験なんていらん。
しっかり遊んで濃く生きろ」
とのお考え…
皆からとても愛されてるが故に
彼はその狭間で苦しんでました。
受験相談どころではなく
完全アウェーの
人生相談状態からスタート。
お母さまはほんとうに
彼をよく理解しておられ
把握しておられました。
でも周りのママの言葉からくる
言いしれない不安に
いつも押しつぶされかかって
おられたと言います。
「大手塾では押し流される」
「息子をちゃんと見てくれるところ」
という理由でウチをお選びに…
大手支援個別的な動きがメインの
ウチにとって珍しいケース。
当初目標は
・学校へ行こう
・学校の宿題ちゃんとやろう
のレベル…(;^ω^)
でもカラダもあまり強くなく
季節の変わり目や
低気圧が接近して来たりすると
不調になってよく休んでました。
またお勉強をしてると
「は?」と思うようなところが
ごっそり抜けてるのが
見つかったりもしました。
お母様には
ママ友との交流を極限まで抑え
ネット情報を鵜呑みにしないように
お願いしました。
ほんとうに忠実に守ってくださったこと
不安でらっしゃったと思います。
でもそれが大きなチカラになりました。
へこたれながらも
とにかくお勉強ができる状況に
なった頃…
算数科の講師が退職、独立
カドをふたつ曲がったようなところに
教室を開きました。
算数が不安だった彼は
ウチに来てくれながらも
その教室にも通っていました。
「どっちの先生も好き」と…
しかししばらくたった頃…
アチラの教室で
「どっちかを選べ」と言われたようです。
相前後した時期に
アチラでよく「イジられて」も
いたようでした。
ウチから移動した子たちや先生からも
何かできないたびに
「やっぱバカだから…」みたいに。
お母さまは意を決して
アチラを辞してウチに一本化
各教科の先生が揃ってる
アチラの方が断然有利なのに…
しかしそこから…がまた
基礎的なことを…と思っても
何から手を付けていいかわからない状態
模擬試験の結果は
E判定のすみっこに★が貼りついてる状態
とりあえず宿題を出しても
翌日来てからま~ったりと解いてる始末
しかし
行きたい学校は変わらず
なんとお近くに引っ越して
しまわれるという「暴挙」まで…
私にとって
「アトがない」状況になりました。
しかし…それでも
本人さんは極めてマイペース
まーったり問題を解き
少し詰めると体調がくずれ…
でも
徐々に教室にいてくれる時間が
伸びていきました。
この頃にはお父様も
受験を全力支援くださっていました。
私は大胆にも
「過去問演習オンリー」に
大きく舵を切りました。
何からやっていいかわからないなら
せめてやる気が維持できるように…
志望校の名前が入った
問題ばかりなら
やる気も続くはずだと…
そして間違ったところを解説
さらには類問補充
その流れに絞り込みました。
ペースは大して変わらず…
どう考えても制限時間に
間に合ってないことも多々…
でもくじけることなく
黙々と問題をやり込んで
いました。
時々来てくれる「現役灘中生」
彼が来ると
算数を教えてもらってました。
数十分、数問見てもらって
実力が上がるはずはない…はず。
でも「見てもらった事実」は
彼を内面からがっちり支え
少々つまづいても
諦めずに食らいついて
自分自身でも考えられる
ようになりました。
結局
模試の判定でBすら出たことは
ありませんでした。
過去問もたくさん解けたわけでは
ありません。
少し掘れば
あっという間に弱点の穴が
次々見つかります。
でも…不思議に
日に日に強くなっていく感じが
ありました。
全くデータに現れない根拠のない…
でも確かにそこにあるチカラ。
入試の日は…
出来た感覚が
しっかりあったと言います。
淡々としてはいましたが…
自信と満足が見え隠れしていました。
明鏡止水…そんな言葉が思い浮かびました。
後から考えれば大変失礼ですが…
「結果はどうあれ
彼は大きく成長した」
そう思っていました。
かすかだけれど妙にクッキリした
期待とともに…
今朝…
一瞬春を思わせる陽光の中…
合格者受験番号の中に
彼の番号が咲いていました。
番号を確かめた彼は
呆れるほど無反応でした。
でもそれは
彼なりの喜びの表現だったようです。
この仕事をしてきて
初めて発表会場で泣きました。
わが子のですら泣いたことないのに…
実は…
泣き顔の夢の片方は彼でした。
伝説はまたも続きました。
感謝してもしきれません。
ほんとうに頑張ってくれました。
ありがとうございます。