ほぼ3年ぶりのブログ更新です!
この3年間は出産育児で多忙な毎日でした!

この先生との経緯を「記録しておきなさい」という感動があるので
3年ぶりにブログを書かせていただきます。

☆☆☆

あれは確か1996年の夏のことだった。
教会の20人弱のメンバーで韓国で行くことになった。

はじめにまずソウルに行った。
ソウルのホテルで通訳&ガイドの使命をされている人たちが
私たちの教会のメンバーにアンケートをとってくれた。

アンケートの内容は
「月明洞(ウォルミョンドン)は初めてですか?」とか
「鄭明析先生に会うのは初めてですか?」とか
「今回、悟りたいことは何ですか?」などだった。

そしてアンケートの内容に

「どこか行きたいところはありますか?」

とあったので

私は大胆にも

「鄭明析先生のソウルの家」
と書いた。(●´ω`●)ゞ

当時、先生はウォルミョンドンで作業か地方巡回をして御言葉を伝えていらっしゃったと思う。
先生のソウルの家はソウル近辺を巡回される時に使うための家だったと思う。
(ここはあくまでも私の推測です)

鄭明析先生、信者が推定10万人以上いる摂理の教祖の家、
普通に考えれば一平信徒の私が行けるわけもない。

同じ教会のメンバーにも
「先生のソウルの家なんて、行けるわけないだろう!」
とちょっとバカにされた。(;^_^A


先生のソウルの家に行きたい!と切にお祈りしたわけではない。
しかし、奇跡は起こった!

メンバーが運転するバスでソウル観光をしている途中、バスが故障した。
故障した場所がちょうど先生のソウルの家の近くだったようで

「これは
近くの先生の家に行かせていただいて
バスの修理が終わるまで、
先生の家で待機させていただくしかない」

と言うことになった!( ̄□ ̄;)!!

というわけで奇跡的に鄭明析先生のソウルの家に行けることになった!
残念ながら先生はウォルミョンドンで作業中で、先生はいらっしゃらなかったけど、
管理人?、先生の同居人?の男性の方が、お茶やお菓子等でもてなしてくださり、
書斎やリビングなど先生の家を案内してくださった。
その男性の方は突然、来ることになった私たちを温かく迎えてくれた。

約20年前の話なので記憶があいまいだけど、
豪邸といえるほどの大きな、豪華な家ではなく、
鄭明析先生の人柄をあらわすような素朴で堅実な家でした。

周囲も開発途中の住宅地だったのか
素朴な感じでした。

鄭明析先生は生活を信徒に全部、見せてくださり、神様の愛と御言葉をあらわされた。
留守中の家までも、バスが故障して困っている私たちのために開放してくださった。

先生の愛があふれた奇跡の出来事だった!
昨日の水曜礼拝の締め括りに「心奪われて」という曲を歌った。
この曲の歌詞に「もう何もわからない。ただ主しかもうわからない」とあるが、
直訳すると「私は主のゆえにバカになった。本当に主しかわからないバカだ」だと
リーダーの方が話されていた(訳、間違えていたらゴメン!)
この直訳に、とっても感動した!







私には人に自慢できる学歴、職歴などもそこそこあるけれど、
それを全部おいてでも、「主しかわからないバカ」になりたいと切に思った。
それが主から見て一番、幸せだし、天国への第一歩だと思った。

というわけで今日はこの歌が頭の中をぐるぐる回っています!

10年近く使っている我が家の炊飯器の内釜。

コーティングが剥がれてきてヤバくなってきました( ̄□ ̄;)




摂理の新婦里夏のブログ


炊飯器ごと買い替えか、内釜だけ替えるか迷いました。

が、同じ機能の炊飯器の新品を買うとかなり高くなるので、

内釜だけ買い換えました。




摂理の新婦里夏のブログ




すると、内釜替えただけなのに

ご飯がとってもオイシクなりました!

想像以上です。!(≧▽≦)

内釜を替えたことを知らないダンナも

「今日のご飯、いつもよりオイシイ!」とつぶやいたくらいです。


人間もよりオイシイ人間に、味のある人間になるには

まずは内側を替えることが大事だとしみじみ感じました。

この写真がとってもよいと思ったので、ブログに載せてみました!
個人的な主観ですが、ボルトさんのポーズが主に近づこうとしている人間を象徴している感じがしました!
日々、主の考えに近づいていきたいと思います。



今週の御言葉はとても感動的だった。

最低限、

王(神様)が呼んだら「はあい、はあい」と鶯(うぐいす)のように答えれば」、

主の新婦になれるとおっしゃってくださっていた。


摂理歴十数年の私でも

「ああ、こんなんで主の新婦といえるだろうか?」

「こんなんで天国に行けるのか?」

「あと残された時間はわずかなのに…」と思ってしまう今日この頃。


悩んでしまうのはみんな、同じ。

そんなみんなの思いを見抜いて、今週の御言葉を主が教えてくださったのだろう。


さらに

米もあるし、電気炊飯器もあるし、手伝う人もいるし、おかずを作って、持って行って、王と一緒に食べて、愛すればいいのに、何ができませんか。

とまで主がおっしゃってくださいました。

主の相手になる準備まで主がたくさんしてくださっています。


これくらいなら、私にもできる!と思いました!


せっかく、神様が相手として、新婦になってほしいと思って皆さんを呼んでくださいました。

神様は無理難題を皆さんに要求していません。

できなくても、足りなくても、神様を愛して、相手になりさえすればよいのです。


こんなに主の愛に満ちている摂理を

脱会なんて、「MOTTAINAI」(もったいない)と思いませんか?


おまけ:MOTTAINAIの木の実