マナというとハワイを思い浮かべる
概念としてはマナは太平洋諸島地域で信仰された神聖な力の概念
実体や人格を持たないものを言う

ところで、わたしがSNS上で名乗っている『まな』は本名である
父方の祖父が付けた名前、というか、付けられるべくして付けられたもので戸籍上の漢字(当用漢字)と本当の漢字は違うという、少し変わった名前だ
また、親をはじめ親類も戸籍上の名前を短縮した愛称でのみ呼ぶ
忌名というやつだ
ちなみに愛称は『まなちゃん』ではない( *´艸)

祖父が最初の女孫に付けるか、付けないかを決めるという...因習めいたものがある(さすが四国の古くさい家!笑)

普通は父親か両親が相談して決めるのが今の当たり前だと思う
子供の頃から祖父や親類に大事にされていたことは覚えているし、親類の慶事の際には化粧をし着飾り、お神酒を注ぐ役割をした
わたしは自分の名前が好きだ
親類の中でもそういう命名をされたのはわたしだけなので、祖父には何か思うところがあったのだろう

学校でフルネームで呼び捨てにされた時に激しい違和感を感じたことも印象に残っている
下の名前をまともに戸籍上の名前で呼ばれたのはそれが初めてだったから

それが普通のことだということにはすぐに慣れたが...

母方の祖父にも、世間的なあだ名(通り名?)と本名があった
その通り名が『龍馬』
どこかで聞いた名前だ!笑


まあ、それは置いておくとして

マナにそういう意味があることは成長して、必然的に神秘的なものに惹かれるようになり、自分で知った
なんとなく納得するものがあり、田舎のお祭りや慶事には積極的に参加するようにもなった
友人同士で遊ぶ方が楽しいのは親類もわかっているから、なおさら喜んでくれた
こういう役割をする人間は存在するのかを調べるとかなり極端な例としてクマリの存在を見つけた
わたしには行事に参加するしないは自分で選べる自由があるので、クマリほどきつい役割ではない
お告げもしなくていい

ただ、日本ではあまり聞かない風習な気がする
表面に出ていないだけなのかも知れないが...

わたしが一生結婚をしたくない、ということを親類からは反対されたり意見されたりしたことはまったく無い
まったくの他人からは言われたことはあるけどね~

名前というのは一番短くて一番強い『呪(しゅ)』であるという
わたしは名前に相応しいわたしになれているのか、それをアイデンティティーとしている
今の時代に時代錯誤な、と言われそうだが一族に強い愛着がある
その大元であるカミにも強い愛着がある

誰に強制されたわけでもないのにそれが当たり前だとわたし自身が決めたことだ
こうして書くことも宣誓みたいなものだな...

だから、本来、身内にしか使わない力なので金銭的活動には使わない
軽い占い程度なら頼まれれば引き受ける
友人は身内と考えるので、オールマイティーに引き受ける

力を持つことが苦しいという感覚はわたしにはわからない
視えることも感じることもわたし自身とは別の感覚なので苦しさはわからない、と言った方が正しいのか
力にはすべて個人差があるものなんだな、といろいろなブログを読んで感じている

わたしが視るのは神仏がほとんどで、死者の霊は相談を受けた時に...うーん、なんというか、わたしを守護しているものから伝えてもらう、ワンクッション挟んだ感じになる
だから、気力も体力も使わない

そういうものだと思っていたので、力を持つという方々のブログに違う感覚で書かれていると、驚くことが多い
そんなにつらい思いをしてきたのか、と...

わたしにとっては、他の五感と変わらないもの
子供の頃から当たり前にあったものだ
自分に都合が良いものはテストのヤマカンが当たったり、欲しいと思っているものを運良くもらったり、かなり平和ボケなことばかりだな...(^_^;)


さて、何故だか流行っている傾向にあるスピリチュアル、こんな深刻な問題がある
ハマる前に読み、よく考えて欲しい