3月11日
7年前の震災の日は母の退院日。
退院手続きを終え、
神楽坂の病院を出た後、
介助無しでは歩けない母を
車椅子に乗せて志満金で
母の好きな鰻を食べて帰ろうかと考えたが、
やはりすぐに帰宅した方が良い気がして、
外食するのをやめてタクシーで帰宅。
その直後に震災が。
身体の不自由な母を抱えて
とても不安な気持ちでいたことを思い出す。
それから2ヶ月後に
かねてから準備していた
地唄舞教室を開設したものの
公民館を借りては生徒さんが来ず、
キャンセルの繰り返し。
なかなか軌道に乗らず
日本の伝統芸能の厳しい現実を
突き付けられた気がした。
母はその後、事故に遭い
遷延性意識障害となった。
母と話すことはもう叶わないが、
母が生きていることを支えに
毎日を過ごしている。
あれから7年。
辛いことも幸せなこともあった
7年だったように思う。