瑞巌寺 | りえの独り言

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この記事の内容は2024年8月のものです

 

こんばんは、りえですうさぎ

 

桟橋のある中央広場から

 

海と反対側にまっすぐ行くと

 

瑞巌寺があります

 

 

ホテルのイケメンスタッフさんに観光について聞いた時に

 

「松島の中心、瑞巌寺には是非とも(絶対な圧)行ってほしい」

 

と言われまして

 

あまり寺には興味ないので、そこまで言われなかったら

 

スルーしてるところでしたw

 

 

瑞巌寺は正式名称を「松島青龍山瑞巌円福禅寺」といい、現在は臨済宗妙心寺派に属する禅宗寺院です。

9世紀初頭、比叡山延暦寺第3代座主・慈覚大師円仁によって開創された天台宗延福寺がその前身であると伝わっています。

 

 

拝観料は700円です

 

法身窟

 

 

鎌倉時代半ばに宋より帰国した法身性西禅師と、諸国行脚中の鎌倉幕府執権・北条時頼公が出会ったところと伝わっています。

 

奥州藤原氏、北条氏、伊達政宗と瑞巌寺の歴史には

 

すごい名前が並んでますキョロキョロ

 

中門

 

 

庫裡

 

 

禅宗寺院の台所。

 

細かいことは省きますが←タラー

 

伊達政宗公の美意識が反映された造りらしい

 

ここから中に入り、本堂のなかを見れる

 

撮影禁止なので写真は無し注意

 

すごい屏風とか見た気がする←タラー

 

宝物館

 

 

これだけ写真OK

 

撮っといた

 

 

と拝観はここまで

 

参道の右側に行ってみる

 

洞窟遺跡群

 

 

洞窟の壁面には供養塔や五輪塔、戒名等が無数に刻まれており、供養場として使用されていたことが窺えます。

松島は古来より「奥州の高野」と呼ばれていて、亡き人の供養が営まれた場所でもありました。

 

 

写真じゃ中は真っ暗で見えないけど、

 

びっしり!

 

すごいのよびっくり

 

 

現在残る最も古い供養塔は、寛永13年(1636)、政宗公に殉死した佐藤吉信(法得紹隆禅定門)のもので、他に残る供養塔もそれ以降のものであることから、現状となったのは江戸後期のことと推測されています。

 

 

こんなたくさん洞窟掘ってるから、

 

太古の昔からと思いきや、意外にも江戸後期とはキョロキョロ

 

びっくりすることいっぱいでしたびっくりマーク