私は東日本大震災を機に被災地域で子育て支援を始め、8年経った今でも支援を続けています。

 

 

今、陸前高田に不登校の子どもたちをサポートする為のフリースクールを創る為に寄付を募っています。

 

『第二弾あの日から不登校の子どもの為にフリースクールを創りたい』
https://readyfor.jp/projects/311kodomoshienver2/

 

告知の為にいろんなところでお話をさせていただきます。

 

恐らくは1~2年で止めていたらこんな質問もないのだと思いますが、
いつまでも続けていると、

 

「なぜ始めたんですかー?」

 

 

一言で言うと

「ちょうど娘が二十歳になって、自身の子育てに終止符を打ったタイミングだったから。」

ということになります。


でも、本当はそれだけではありません。
いくつかの理由がそこに重なりました。

 

一つ目

私はシングルマザーとして娘を一人で育ててきましたが、
前述の通り、震災の直前の2011年3月7日、娘は二十歳になったところでした。

一人で頑張ってきた私は、「取り合えず子育て終わった!子育てという社会的責任を果たした!」
「これからは、私だけのことを考えれば良い人生!!」
「さあ、自由の身!!!思いっきり自分のやりたいことをやって、ここからは人様のために生きる人生!!」
そんなふうに思っていた矢先でした。


二つ目
私自身がシングルマザーとして、周囲の人に助けながら子育てをしてきた。
だから、震災を起きて、大変な思いをしている人たちに手を差し伸べることは、自分にとっては当たり前のことでした。


三つ目
長年子宮の病気で辛い思いをし、何年かに一度は歩けなくなるほどの痛みに。

その度に治療を繰り返し、震災の前の年の暮れ、

とうとう

「今回はチョコレート膿腫が5センチ超えている。

破裂寸前だから、3ヶ月これまでと同じ治療をして、

様子を診て効果がなければ、手術しましょう。」と告げられました。

 

チョコレート膿腫とは血の塊です。

破裂すると臓器と臓器が癒着して、大手術をしなければならないことになりかねません。

そんな時、知人の勧めで「ガンでも治る酵素液の研究をしている人がいるので紹介したい。

その人の酵素液を飲んでガンが治った人がいる。」


「ガンでも治る」と言われ、なんて怪しいんだろうと思いながらも、

「取り合えず、先入観を持たずに何でもやってみる」が信条の私は、トライすることに。

 

そうしたら、ナント、ナント、2ヶ月後、エコーを見た婦人科の主治医が

「こんなことはあり得ません。これは奇跡ですよ。」とびっくり仰天。

5センチものチョコレート膿腫が影も形もなくなっていたんです。

それ以来ずっと痛みはありません。今もないんです。本当に不思議です。

 

四つ目
震災の前の年の暮れでした。当時私は恵比寿に住んでいました。恵比寿ですから人が大勢います。

そんな中、横断歩道を駅のほうに渡ろうとすると、向こう側にいたホームレスらしき方が、私だけを一点に見つめ、つかつかと私目掛けて歩いて来るんです。

 

そして、「1週間も何も食べていないんです。」と言ったのです。

私は思わずお財布を出し、1000円札を渡しました。

周囲の人はそれを驚くように、心配そうに見ています。

近くにいた年配の女性からは、「あなた、大丈夫?!」と声を掛けられました。


そのくらい恵比寿でホームレスを見かけることはありません。

渋谷でホームレスを見かけることはよくあるけれど、恵比寿で見ることはなかったのです。

とっても不思議な出来事でした。

 

私はそれ以来、「私は人々の為に何かしなくてはいけないのではないか?」

「あれは神様だったのかもしれない。」なぜかそう思ったんです。

念のためにお伝えしておくと、私は無宗教です。それでも、そう思ったのです。

 

 

五つ目
私は震災前、WEB制作のプロダクションを経営してました。
小さな仕事も沢山しましたが、大きなものは1案件3000万なんていうのもありました。

スタッフにも、クライアントにも本当に恵まれたと思っています。
震災当時はその仕事を止めて、新しいことをするために、新しく会社を立ち上げたばかりでした。


WEB制作の会社を経営していた時は、毎年専門学校のデザイナーの卵たちをインターンで預かっていましたが、

震災当時その新しい会社では、リーマンショックの後就職できなかった新卒の子たち10名近くを預かっていました。

当時オフィスは渋谷でしたが、あれだけの大きな揺れを経験し、渋谷中が仕事をしようという空気でなく、

「東北の為に何かやらないと。」という空気で、大きな企業でも「食料を持ってきたら、東北にお届けしますよ」というような活動もしてました。そして、私たちはそれぞれ自宅から食料を持ち寄って、その企業に届けるようなこともしてました。

 

 

そんな不思議な四つのことが重なり、私は迷うことなく、被災地支援をスタートさせました。

それが、こんなに長く続き、こんな思ってもいなかった人生を歩むことになろうとは。

一生ビジネスに身を投じる覚悟だったのに、こんなに長く支援生活が続くとは・・・・。

 


被災地支援をするようになったきっかけはこんなことでした。

 


しかし、ずーと後になって、根底のもっと他のことに気が付きました。

それについては、次回以降に書けたらと思います。