生誕130年 川瀬巴水展―郷愁の日本風景
このポスターに魅せられて・・・・。
今月19日まで後残り少なくなりました
川瀬巴水とは?
明治16(1883)年、東京市芝区露月町(現在の港区新橋5丁目)の生まれ.
幼い頃から絵を好み、画家を志しましたが本格的な修業の開始は遅く、鏑木清方への入門を果した時すでに27歳になっていた.
転機が訪れたのは大正7(1918)年.同門の伊東深水が手がけた連作《近江八景》を見て
木版画の魅力に打たれる.そして版元・渡邊庄三郎と組み、塩原に取材した三部作を翌年発表.
写生に基づく温雅な下絵が清新な木版画となり、好評をもって迎えられた.以後旅にでてはスケッチをし、東京に戻っては 版画を作るという暮らしを、病気で世を去る昭和32(1957)年まで続けた.
美術館入口の柱やチラシに使われているビジュアルは昭和10年に制作された「東海道風景選集」の《尾州半田新川端》。
第1章 大正7年~12年(1918~23) 木版画家としての出発~関東大震災まで
東京を描いた作品は市井の人々の生活が感じられるような日常的な風景を描いたものが多いのも特徴。
大正9年(1920)
第2章 大正12年~昭和20年(1923~45) 関東大震災後~戦中まで
大正12年9月1日、関東大震災が起こり、巴水の家も渡邊庄三郎の店も全焼。
巴水が清方への入門以来描き溜めていた貴重な写生帖も、渡邊の店にあった巴水の版木や作品も灰と化します。
震災後に発表した「東京二十景」は震災後の新旧混在する東京の姿が描かれたものですが、震災前と変わらぬ東京の風景がとりわけ売れたのだそ
東京二十景「芝増上寺 大正14年(1925)
東海道風景選集「相州前川の雨」 昭和7年(1932)
第3章 昭和20年~昭和32年(1945~57) 戦後
戦後の代表作「増上寺の雪」は9枚の版木を使い、42度摺りをした新版画の技術の粋を集めた作品。
会場には摺りの過程がパネルで紹介されていたので、詳しい状況がよく解かりました。
当時の技術のレベルの高さがよく分かります。
「平泉金色堂」は巴水の絶筆。完成を観ることなく巴水は亡くなります。雪に閉ざされ深閑とした木々の奥にある金色堂とお堂に向かう一人の男性。巴水は自分の死期を悟っていたのでしょうか。
大阪髙島屋 |
2014年2月26日~3月10日 | |
横浜髙島屋 | 3月19日~3月31日 | |
山口県立萩美術館・浦上記念館 | 4月26日~6月8日 | |
川越市立美術館 | 7月19日~9月7日 | |
日本橋髙島屋 | 2015年1月2日~1月12日 |