八咫烏シリーズはファンタジーの皮を被ったミステリーだ。
第3弾である「黄金の烏 」最後にどんでん返しが待っている。
すっかり騙された。そっちか。そうくるか。

これまで靄に覆われていた世界観、真の金烏の正体も、この巻でずいぶん明らかになってきた。
終盤明かされた不知火が、まさか地上の星だったとは!
山下和美「ランド」に通じるものがある。
これは興奮する。

謎解きがこのシリーズの大きな魅力なので、ここではネタバレは控える。
(また今度、ネタバレの記事書くかも…)

八咫烏の世界も格差社会。
この巻ではその歪がよりくわしく描かれていた。

八咫烏は卵でうまれ、烏の姿で育つ。
そのうちにヒトの姿に転身できるようになる。
本性は烏だが、烏の姿は恥ずべきこととされ、普段はヒトの姿で過ごす。
身分が高ければ高いほどその意識は強い。
貴族ともなれば、ほぼ一生をヒトの姿で過ごす。

そのなかでわたしが以前から気になっているのが馬だ。

馬は常に鳥形(大型の烏の姿)をして、荷物を運んだり人を乗せたりしている。
どうやら人形(ヒトの姿)にはならないらしく、厩に繋がれる。
しかし、その馬は、元々はその背に乗せているヒトと同じ八咫烏なのだ。
困窮した八咫烏が、食べるために飼われている。
その困窮の元がなんなのか、生まれつきの身分のせいなのか、いつから馬として生きているのかは説明されていない。
しかし、種族が違うのではなく、馬も八咫烏だ、ということだけははっきり書かれている。

その馬。
馬として生きている八咫烏の内心はどうなのだろう?
馬は奴隷のような立場だと思う。
同じヒトなのに、家畜として使役されている。

そしてその馬の心情よりも気になるのが、馬をつかう他の八咫烏の気持ちだ。

同じ八咫烏なのに、手綱をかけ乗り回し厩に繋ぐ。
そこに躊躇はないのだろうか?

屋敷しもべ妖精を使役することに嫌悪を滲ませたハーマイオニーのような八咫烏はいないのだろうか?
そういうもんだから、と、疑問さえ感じないのだろうか。
南北戦争前のアメリカで黒人奴隷がヒトとして認識されていなかったように、馬は同じ八咫烏として認識していないのだろうか。

あまりにも当たり前に馬が馬として使われているので、読んでいてモヤモヤする。
人力車の車夫だって駕籠かきだって、仕事が終わったら厩には繋がれない。

厩で繋がれたまま餓死した馬、物語の本筋には関わりのないこの馬がとっても気になる。


八咫烏シリーズ1巻の感想
烏に単は似合わない 八咫烏シリーズ1
八咫烏シリーズ2巻の感想
烏は主を選ばない 八咫烏シリーズ2 阿部智里

 

黄金の烏 (文春文庫 あ 65-3)

黄金の烏 (文春文庫 あ 65-3) [文庫]

阿部 智里

文藝春秋

2016-06-10





八咫烏シリーズ感想

烏に単は似合わない 八咫烏1 

烏は主を選ばない 八咫烏2  

黄金の烏 八咫烏3  


空棺の烏 八咫烏4 




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