祖母が101年の生涯を終えました
戒名の最初に『寿』と付く 「大往生」 の人生
大往生ってほんとに凄いことなんだな~と何度も思ったこの数日間
80に手が届きそうな父とその兄弟姉妹も 一人として欠けることなく見送りが出来て
子供としての役目をやっと終えた感じ
もう皆さん、ええ歳ですけど・・・
そりゃ永遠のお別れなのですから、涙はありました
少~し・・・ね
ほとんどの時間、みなが笑顔
亡くなる少し前のあれこれや
施設のベッドの上での、祖母に会いに来た人とのやり取りさえも
兄弟姉妹が競って 面白おかしく語ってくれる
遺影にする写真や、葬儀の最中に流すスライドショー用の写真を選びながら
(今時は葬儀にも 「思い出のスライドショー」 なんてあるんだって!びっくり!)
アルバムをめくる皆が笑顔で思い出話に花が咲く
亡くなってから葬儀まで日があったため、幾晩も続くお線香の守り番を
「私ももう歳だから~」 と仲良く なすり 譲り合い (皆もれなくお年頃っていう)
葬儀中のお坊さんのお経は子守唄
喪主の父をはじめ、高齢の 「子供」 やそのつれあいが最前列で船をこぐ・・
数珠は手首から滑り落ち・・
もちろん足下に落ちたくらいじゃ起きやしない
おっとっと、斜め後ろからイビキまで聞こえますけどー・・
ちょいちょい ご老人方✋、後ろの皆さんが見ていますよ (/0 ̄)
(後日、家に来たご近所さんに 「お父さん随分お疲れだったみたいだね~」 って言われたし(笑))
お経の合間のジャーンジャーンの鳴り物でようやっと目を覚まし
スライドショーが始まれば
若かりし祖母や亡き祖父にワイワイと茶々を入れ・・・
大変!
司会進行の葬儀屋さんの
「え~・・故人を、し、偲んで・・」
って うつむき加減の台詞が 完全に浮いてもうてるやないか~ (~O~;)
そしていよいよ クライマックス
「お骨拾い」 での最後の場面
喪主に与えられた 締めのお勤めに、白手袋をはめて臨む父
体が弱かったという幼き日、ぼう ぼう (坊) と呼んで可愛がってくれたという
そんな、大事な大事な母親の しゃれこうべ を手にした父が
「あっちっち!」
って
・・・・・・・
どんな葬式やねん(笑)
ほんと、大往生って凄いな~って思いました
しみじみとね Ψ( ̄∇ ̄)Ψ
祖母の年齢 「101歳」 って
書くのは容易いけど
イマの私が この人生の倍を生きてもまだ足りないだなんて・・・
長っっ!(@_@)
生きることは
時に大変だけれども
死に行くことも またなかなかに大変なこと
長生きの祖父母の血を
濃ゆ~く濃ゆ~く継いでいる父の先行きを
ものすご~~~く憂いでみたり (いろんな意味で)
いやいや、私もその家系やし・・・って気がついちゃったけど
それは・・・
もう・・・・
忘れたいぃーーーーー (* ̄∇ ̄)ノ
けど
涙の少ないお葬式は とても素敵だなって思いました
亡くなる前に叔母達が会いに行く度、
「ありがと」 と 「しあわせ」 を何度も言っていたという祖母からの
最後の素敵な贈り物だったね
みんな泣いてる暇もないほど いっぱいの笑顔で受け取ったよ~
ま、見てたと思うけど(笑)
ばあちゃん、山あり谷ありの人生お疲れ様!
いろんな 「おかげ」 が心を巡ります
ありがとね
ほしりこ (西宮北口) のお客様へ
いつもありがとうございます!
月初めに 近々発表とお知らせしていました[新メニュー]について
「祖母を見送った後は 疲れきった父や叔父叔母・私の姉妹など
ど疲れ じじ様ばば様達の行列を順番にほぐし
葬儀の直前に母の転院まで重なってしまった為に
これまでより遠くなってしまった母の病院に時間をかけて通う」
・・・というような諸事情がありまして
そんなこんなでぐだぐだに日が過ぎてしまって[新メニュー]が未だ決まっておらず
皆様へのご案内が遅れております
楽しみにしています!と言っていただいているのに申し訳ありませんが
もう少し内容を練ってみたいなと考えていますので
どうかどうか、首を長~く伸ばして もうしばらくお待ち下さいませ~ m(__)m
よろしくお願いいたします