こんにちは😊



ご無沙汰しております♡


本日は「私の中の77と61の統合まで」シリーズに戻って

1945年8月15日の「玉音放送(終戦の詔書)」について

綴ってまいります




あらためて、玉音放送について綴る理由に

少し触れますと



このシリーズの中で



原爆に関することで

私は絶対にあんなことしない!

NOに思って来たことを



私も、そうしたかもしれない🙄

と受容した時に



どうして昭和天皇はそちらを選択せずに

敗戦の方を選択されたのだろう?

こんなクエストが生まれたことがキッカケでした



そこまでの詳しい内容は

以下で順を追って書いています

お手数ですが、よろしかったら順に御覧になって下さい



私の中の77と61の統合まで①


私の中の77と61の統合まで②


私の中の77と61の統合まで③


私の中の77と61の統合まで④


私の中の77と61の統合まで⑤









そんなキッカケから、



あの時からすると”未来のさちこ隊長”立場から

玉音放送を読んだときに

私には、当時の昭和天皇のYES☉とNOの想いが見えて来ました



それらのYES☉やNOの想いに対して

未来の私に出来ることって何だろう?と考えながら

私なりのYES☉に繋いでいった道筋を書いていこうと思います




まず、玉音放送の全文を読んだときに

一種のラブコールのようなものを感じました


そして、今を生きる私達にとっても

大切なことが書かれているように思えて



これは、未来に向けても書かれている。

そして、未来の私たちが担当するものがある。

そんな可能性を感じました




そう思えたら、


私と同じように「玉音放送(終戦の詔書)」を

まだ読んだことがない方へ向けて発信したいな♪と思って

玉音放送の内容を綴ることから始めました



先に、🔻この記事で前半部について書いています

本記事はその続きになりますので、

合わせて御覧いただけると幸いです









それでは、引き続き

玉音放送(終戦の詔書)の後半部を綴ってまいります





また、前半部と同様に

以下の順番で書いていきますので

よろしくお願い致します




⓵ふりがなつきの原文


⓶その下に【さちこ隊長としての翻訳】


青文字部分は、簡単な説明や私の感想です







『終戦の詔書』(後半)



🔻後半は、


昭和天皇が決断を下された際の御気持ちを

当時の日本領土だった東亜圏の諸国と日本国民へ

伝える言葉から始まり


これから共に苦難の道を歩んでもらうことになるが

どうか私と共に、自らを失うことなく

平和の世界へ進んでいって欲しいと示されています









私は、我が国と共に終始東亜の解放を目指し協力してくれた

友邦諸国に対し、このような決断を下したことを心残りであり

ながらも責任を持って伝える。



また、我が国民のうち戦死したり、戦場に殉ずるなど

戦争によって亡くなった人々や、その遺族に思いをはせると

悲しみにたえない。









かつ、戦傷を負い、空襲などの災害をうけて家業をなくした

人々の厚生を考えると、私の心は深く痛む。



思えば、今後我が国が受けるであろう苦難は、

言葉につくし難いものであろう。



私は、我が国民の心中もよく理解している。

しかし、時の意志と向き合い苦渋の決断をくだした。

どうか力を貸して欲しい。




耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、

力を合わせ、平和の世界への扉を開いていこう




※ここから脱線して、

上記の青太文字までの道のりを書いていきます



青太文字の部分は、

しっくりくる言葉をあてはめるのが難しくて

私なりの言葉にするのに、何度も自分の中を探しながら

書き直した所です




特に、

力を合わせ、平和の世界への扉を開いていこう の所は



影絵作家の藤城清治さんの展覧会を見に行って

私が想像できなかった世界はこれだ〜

と気がついたことがキッカケでした



ことの始まりは、姉から

藤城清治さんが100歳を迎えて創った作品の画像が送られて来て



超かわいい〜♡と思って、

ネットで検索すると

以下の記事に目がとまりました



NHKWEB特集 ”生きているよろこび”一緒に 100歳の影絵作家 藤城清治





その中の、この絵を見て

呼ばれてる❗️と感じました





「平和の世界へ」2016  藤城清治





そして、6月5日に福岡市博物館を訪ねて

『藤城清治100歳 美しい地球 生きるよろこび 未来へ』と

題された展覧会を見て来ました




会場のこの絵の下には

戦時下で青年だった藤城さんと親友とのお話が

書かれていました


(1924年生まれの藤城さんは、

1945年の終戦を21歳で迎えられています)



その文には、藤城さんがこの影絵を創る想いが溢れていて

この文と絵はセットだと私には感じられました




その文自体は、会場で控えてこなかったので書けないのですが

資料を調べて見つけた藤城さん手書きの一文が

ほぼ、これと同じ内容だったので



絵のイメージを広げていただくために

そちらの一文を引用させて頂きます




戦前、戦時、海軍、そして敗戦、戦後と

激動の中を影絵ひとすじに生きてきた

ぼくが慶応の同期の親友で机を並べて学んでいた

舟津一郎君が14期海軍予備学生にゆき、

ぼくはあと追って15期海軍予備学生で

九十九里浜の香取航空隊へ行ったのだけれど、

一年先に行った舟津君は特攻隊で沖縄上陸戦の

船艦にとびこんで亡くなったのを想い出し、

去年九州の知覧の知覧特攻平和会館へ行った。

そして名簿を検索したら、舟津一郎君の名前を見て涙がとまらなかった。

今年、海軍の航空隊の指宿へ行き、いろんな想いがからだの中に

わきでてきて、どうしてもなにか描きたくなり、

ぼくのすべてをかけて平和の祈りを描いた ぼくの集大成の作品といっていいだろう


藤城清治さんの言葉を引用




こんな文を読んで、



この絵の中の

特攻隊の飛行機が飛んでいく先に見える

大きな太陽(^-^)/をよく見てみると



こっちだょ〜♪と手を広げているように見えるコロナの部分が

世界中の国旗で描かれていることに気がつきました



あっ❗️と思って

そこから私にとってのクエストが始まりました




後日、ネットで「平和の世界へ」のポストカードを購入しました

原画のようにハッキリと国旗は見えないかもしれませんが😅

その写真を添付してみます♪





「平和の世界へ」藤城清治 ポストカードの写真






私の頭の中では


特攻隊の青年たちは、

日本の勝利のために

家に残した家族や離れ離れになった愛する人たちを守るために

まだ見たことがない奥さんや我が子を思い浮かべたり

未来の子供たちの幸せのために



こんな想いで、飛んでいったのかなぁ。

と思っていました



この絵を観て、

あんなに心が震えたのは何故だろう?

と考えて気がついて来たのは




上のような気持ちを抱きながらも

そのずっと先の想いも抱きながら飛んでいったのかもしれない

と初めて想像することができました




祖国のため、愛する人たちのため、といった

何々のためを超えたような


祖国の平和を願って、愛する人たちの平和を願って、といった

個人的な願いを超えたような



藤城さんが描かれたような

平和の世界への想いを抱いて飛んでいって




そんな想いも抱いて戦死していった兵隊さん達は、



敵味方、国、に関係なく

藤城さんが描かれたような

平和の世界へと還っていかれたのだろうと想像しました




それで、この、何々のためを超えたような平和のことを

玉音放送では語っているのかもしれないと思えて

先の言葉で表現しました




また、


しかし、時の意思と向き合い苦渋の決断をくだした。

どうか力を貸して欲しい。



この部分も、個人的な訳をした所で


冒頭にも書きました、察して欲しい❗️のような

一種のラブコールを感じた所です





そのラブコールの様子を、私なりに書きますと



我が国民の、悲しい気持ちや悔しい気持ちはよくわかっている。

しかしながら、我が国民のため、我が国のため、といった

日本のためを超えたような意思と向き合いながら

この地球に平和を残すために苦渋の決断をさせてもらった。


これから我が国民、我が国が歩むことになるであろう いばらの道は、

険しいものだろうと感じているが

平和の世界へ繋がっていると信じている。

ひいては我が国民のため、我が国のためになる未来を信じている。


どうか、私と共に歩んでもらいたい。力を貸してほしい。



こんな感じです。




歴史にifは御法度かもしれませんが

もし、日本がポツダム宣言を受諾することなく

戦争が続いていた場合、



原爆が乱用されるなど、、もしかしたら、

日本人の運命のみならず、世界中の人々といった人類の運命や

生命も危うかったかもしれない。

そんな可能性を私は感じています



だけど、これまでの私は、

それが敗戦のお陰で回避できたことの恩恵を

ほとんど意識していませんでした



あの時、昭和天皇が敗戦を決断して下さったお陰で、

共にいばらの道を歩んで下さった

亡くなった・生き残った御先祖様たちのお陰で、

今の私たち人類や、地球も、生き物も、

命を繋ぐことができて救われた改めて感謝しました



そして、ちょっと話が飛びますが

戦後からの日本の移り変わりを

私がイメージできる範囲で振り返ってみると



戦後のGHQ占領下で

それまでの常識がひっくり返されるような経験をして


そんな中でも復興を成し遂げて

経済大国も経験して

バブルの崩壊や行き詰まりも経験して



一方、インターネットの普及で

国境を超えた情報や、公的な情報から私的な情報まで

目にする機会が増えたお陰で


例えば、日本政府の裏事情とか

日本政府とアメリカ政府の関係の裏事情とか

世界秩序の裏事情が見えるようになって

加えて、世界のあちこちで戦争がおきていてる裏事情も

なんとなく見えてくるようになって




今こそ😊 昭和天皇や御先祖様たちが抱いていた

平和の世界への想いを、自分の中で思い出す

絶好のチャンスが到来している。と感じています



こんな風に、

未来に託しながら、いばらの道を選んだ過去の想いを察して

未来の私達がその想いを平和の世界へ繋ぐことができる立場にいる事を

思い出せたお陰様で



いばらの道は平和の世界へ繋げられることを

また1つ受け入れることが出来たのと


過去は未来を待っている

未来は過去を救うことができる


そんな可能性に気がつけて

私にもできる事が沢山あるんだなぁ〜と、また1つ広がりました



ありがとうございました😊





では、玉音放送に戻りまして






私は、ここに国体を護持し得たとともに、
忠良なる国民の真心を信頼し、いつも国民と共にいる。


もし、激しい感情に流されるままに、みだりに問題を起こしたり
同胞がお互いに相手をけなし、おとしいれたりして自局を混乱させ
そのために人としての大道を誤り、
世界からの信頼を失うようなことがあってはならない。











どうか、このような心がけを全国民で家族のように分かち合い

末長く子孫に伝え、我が国の不滅であることを信じ

国家の再建、及び、この想いを果たす任務は重く、

そこへ到達する道のりの遠いことを心にきざみ、

全ての総力を将来の建設へ注いで欲しい。


道義を重んじ、志を強く持ち、

誓って我が国の本質なるを発揮し、

世界の進歩に遅れないように努めるように。


国民よ、私の意のあるところを十分にくみ取って

自分のものとして欲しい。





以上です







この終盤の部分も

今の状況に当てはまりそうな気がして

私には耳がいたかったです



ただ、いばらの道に突き放しておいて..


そのいばらの道の中でこそ

感情に流されて、同胞を傷つけたり貶めることに繋がらないように

全国民で家族のように分かちあい、力を合わせて歩んで欲しい。



だなんて、、

鬼のような注文だなぁ❗️と思ってしまいました




そこからよく考えて気がついたのは



あの玉音放送は

昭和天皇と国民の関係の中にあるので

当時の国民は

それだけの精神性の持ち主だったであろうと想像できる。

と自分の中で確認できて、御先祖様たちは凄いな〜と思いました




そして、その子孫の私達の中にも

その精神性が潜在的に引き継がれているかもしれない。

とも思えて



日本人って、ヤバイ〜(^-^)/

と確信いたしました。






本日も、最後までありがとうございました🕊️




🌈高橋幸子