真実はこの通りのものとしてあるにもかかわらず、それを理解できない者がいるのも常のことである。彼らはそれが何であるか、その本性について何も知っていないのである。実際に体験していながらそれが何であるか気づかず、学んだ後もなおそれが何であるか気づかない。彼らは知っていると思い込んでいる。しかし、それは常にあったし、今もあり、これからもあるだろう。在るのに無い、無いのに在る。これは見聞してなお理解する事ができない者たちのための言葉である。思慮の健全さこそ知恵であり、それは物事の本性に従って理解しながら真実を語り行うことなのだ。
1、5、17、30、34、112.