●あなたがわたしにくれたもの

 

こんにちは。

 

須藤いづみです。

 

 

今日は娘の誕生日。

 

私が娘を出産した年齢になり、いつも以上に感慨深いものがあります。

 

 

思い返せば、2度の切迫流産を乗り越えての出産の喜びも束の間、娘は生まれた翌日に救急車で専門病院に搬送。

 

次に娘に会えたのは私の退院後、搬送先のNICUの保育器越しでした。

 

小さな身体にたくさんのチューブや機器をつけた姿を目にした時、一瞬声が出なかったのを覚えています。

 

 

吸啜反射が全くなく、おっぱいを吸うことも、哺乳瓶からミルクを飲むこともできません。

 

たいして出ない母乳をなんとか絞って冷凍したものを持参し、看護師さんに鼻に入れたチューブから、ミルクと一緒に飲ませてもらいました。

 

 

母乳の出が悪いことを悩んでいた時、娘の主治医の先生から

 

「心の栄養になっていますから大丈夫ですよ。」

 

と言われて、思わず泣いてしまったこともありました。

 

 

また、面会に行く度に、検査を行った跡なのか、娘の小さくて細い足や腕に注射や処置の痕のようなあざを見つけては、胸が潰れる思いでした。

 

 

そんな痛い思いを何度もさせて遺伝子から何から全て検査をしたけれど、これといった原因が見つからず

 

「ずっとこのまま、一生口から物を食べることはできないかもしれません。

新たな問題が出てくるかもしれません。

今は経過を見ていくしか方法がありません。」

 

と言われ、入院から1ヶ月半後に、鼻に経管栄養のチューブを入れたまま退院。

 

 

「娘はこれからどうなってしまうのだろう…」

 

退院の喜びよりも不安の方が大きかったです。

 

 

退院後から3才になるまでは毎月、娘を抱いて電車に乗って、1日がかりで院内の複数の科を受診。

 

耳鼻いんこう科、眼科、整形外科、リハビリテーション科…

 

他の科にも、その時々でお世話になりました。

 

 

最後に主治医の先生(新生児科)から

 

「もうここは卒業で大丈夫ですね。」

 

と言われた時は、本当に嬉しかったです。

 

 

危惧していた経口摂取は、1才を迎える前に始めることができ、そのタイミングで鼻に入れたチューブを外すことができました。

 

この時も嬉しかったなぁ。

 

 

その後も娘に色々なことがある度に

 

「私のせいで…」と自分を責めていましたが、そんな自分を

 

「よくやってきたね」

 

と、ヨシヨシしてあげたいです(笑)

 

 

 

現在の娘は、147cmと小柄ではあるけれど、食事もお酒も美味しくいただく大人の女性になりました。

 

 

娘は生まれてきた時点で、一生分の親孝行をしてくれたと思います。

 

それからは、何があっても、何もなくても、プラスしかありません。

 

 

と、最後は親バカ全開で(笑)

 

 

 

お誕生日おめでとう。

 

今までもこれからも、ありがとう。