自死遺族で、喫茶店を営んでおられたIさんが、お店を畳まれたことを最近知った。

      Iさんの御主人は、たしか定年退職後、長年やりたかったお店を開き、薪ストーブなどしつらえて、ご近所の憩いの場となっていた。ご夫婦での応接は好評で、ときおりお店をギャラリーにして、絵や工芸品などを陳列されていた。

 

    わたしは密かに、自分の俳句を短冊や色紙に書いて、お店で個展ができたらいいなと妄想したものである。そのためにも、誰に見られても恥ずかしくない作品を揃えねばならないので、意欲をかき立てていただけることが有難かった。

 

     なぜ閉店を知ったのかというと、俳句の吟行で、そのお店の比較的近く(といっても10㎞は離れているから、交通の便はあまり良くないので、タクシーで往復するとかなりかかってしまうのだけれど)に行くので、Googleで旅程を調べたら「閉店」と出ていて、衝撃を受けたのである。

 

    お店のSNSで確認したら、急に閉店することになった旨、通知されており、常連さんたちの哀惜のコメントなどが寄せられていた。薪ストーブと一年分の薪など、引き取り手を募集されていたので、本当に急なことだったのだろう。

 

     最寄りの駅に近いビジネスホテルの料金など調べたり、わたしは割と本気でお伺いしようと考えていただけに、残念でならない。

 

    じつはIさんの息子さんは、わたしの家の近くにある大学の卒業生で、息子さんの慰霊のために、その大学を訪れたついでに、わたしに会ってくださったのである。ご一緒にキャンパス内を散策したりして、お互いの話をしたりした。時間的には短かったけれど、濃密で、大切な思い出である。

 

     ご病気とか、そういうのでなければ良いのだけれど。どうか、ご夫婦の日常が平穏なものでありますように。

 

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     時々、J堂書店で、座り読みをしている。目的がある場合もあるし、無い場合もある。先日は、

うつ消しごはん タンパク質と鉄をたっぷり摂れば心と体はみるみる軽くなる! | 藤川 徳美 |本 | 通販 | Amazon

が目についたので、読んできた。

 

    レビュー数がめちゃくちゃ多いのにびっくりしたが、ステマは入ってないんだろうか?

    そういう先入観に支配されたくないので、レビューは一切見ない。

 

    内容は結構断定的で、分かりやすい。

「抗うつ剤よりホエイプロテイン!」と力説されているのは、わたし自身が共感できるからでもあるけれど、なんだか笑ってしまった。著者の臨床的実感として、そういう結論なのだろう。

 

    先日ブログで取り上げた山田悟医師も、プロテイン推進派だが、最近はやたらに糖質制限とタンパク質(動物性を推奨)の積極的摂取説を目にする。

 

⭐わたしがどれだけ疑り深いかといえば、この本の著者は具体的なプロテインの商品名を記している。こういった場合、メーカーから「悪くないレビューを書く」という条件で商品の提供を受けるという、いわゆる「企業案件」がほとんどだと思っている。

 

 ちなみに著者が勧めている商品の名はわたしも知っているが、値段が当時(コロナ禍前)と今とでは2倍ほど違う。これは著者の責任ではないが、大谷選手も愛用しているWPIプロテインは、現在は1㎏3,000円強などでは到底買えない。

 

 まあ、欧米の食品や料理の物価はこの数年で2倍以上になっているから、プロテインに限った話ではない。日本のメーカーであっても、原材料は欧米からの輸入だから同じことである。

 

 なお、高価なWPIプロテインと、一般的なWPCプロテインの違いを簡単に言えば、「牛乳を飲んで、お腹を壊してしまう人はWPIプロテイン、牛乳が大丈夫な人はWPCプロテイン」と覚えておけばよい。アミノ酸値など、栄養的な面での差は無い。

 

    プロテイン推奨の流れは、多分これから主流となっていきそうな気がする。「抗うつ剤より筋トレ!」と主張する論文や書籍も増えているし、エビデンスが蓄積されれば、(実は単なる内科医が大半と言われている)心療内科のアプローチにも変化が生まれるかもしれない。

 

    具体的には、心療内科でWPIプロテインとか筋トレ器具を推奨販売するような。さらには処方薬局の隣にジムを作って、処方箋があれば会費優遇(健康保険の適用対象にして、一般会費の2~3割負担)なんて時代がきたらいいなと妄想したり。この本が、長男の生前に出ていれば、わたしの長男に対する向き合い方も変わったのかな?と思ったり。

 

    わたし自身は、膝をいためてから1年5か月、まったくロードバイクに乗っていなかったので、鷹の渡りを見に行くという目的で、じつに久しぶりに小山を上ってきた。

     急坂は正直言って自信なかったけれど、心拍をあまり上げないように走れば、全然大丈夫だった。

 

     高性能なタイヤに交換したままだったので、走らないともったいないというものある。ほとんど平坦路がないコースだったが、転がり抵抗値が世界トップレベルで小さいため、下りが速すぎて(コーナリングの感覚が戻っていないという理由も大きいが)、このタイヤ、まじやべぇと感じられたのも収穫であった。

 

     肝心の鷹(主にサシバ)は、この日はまったく見つけられなかったが、そんな日もある。

 

    先週はいきなり数十羽の群舞に出くわし、声を失うほど感動した。あの子たちは、生きる場所を見つけるために飛ぶのである。鳥界隈で食物連鎖の頂点といえど、ラクな営みではない。ヒマだからとか、楽しいからという理由ではないのである。

 

「全国鷹の渡りネットワーク」速報を確認したら(マニアの方々に感謝)、先週は一日最大で1,300羽渡っていて、わたしが見た日は400羽超えだった。見つけられなかった日は、朝から夕方までで13羽という日だったので、こればかりは行ってみないと分からない。

 

     鳥が風をつかまえるという俳句は山ほどあるが、ぜひ鷹の渡りを見てから詠んでもらいたい。

    つがいの二羽が逡巡しながら山頂付近を旋回していたかと思うと、一瞬で覚悟を決めたかのようにさらに高空へジャンプして、風に乗って彼方へ一直線に消えていく姿は、胸の奥底をわしづかみ(鷹だけど)されたような感銘を受ける。

 

     もうピークは過ぎたはずだが、来週くらいまではある程度の渡りは見られると思うので、また行こう。

 

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     このところ、意欲の低下が著しい。ヒマなのに、何もやる気が起きない。一番の原因は老化だと思う。50代までは、1時間ヒマができたら、あれもしようこれもしたい!と活動的だったが、自分で驚くほどエネルギーが無くなった。

     ホルモン補充療法が多分一番効くとは思うけれど、やっぱり医者には行きたくない。

 

     ここで酒に逃げるのは良くないと分かっているけれど、良くないと分かっているからやってみたい。

 

     わたしがバーで飲むのはウィスキーが多いが、いったい人生でいくらウィスキーに金を遣ってきたか、勘定するのがこわい位である。しかもコロナ禍を経て、ウィスキー自体がものすごく値上がりしている。なので、ここは発想を変えて、晩酌はビールか炭酸水。食後に1杯だけウィスキーにしようと思う。

 

    なので、安くてまずいウィスキーは買わない。

(安くて美味いウィスキーは、残念ながらこの世に存在しない。)

(ちなみに、自転車にいくら遣ってきたの?という問いには、多分ロード乗りの皆さん全員、計算したくないか計算できないくらい、生活は何とかできるくらいである。)

 

    自分が毎日でも飲みたい、金を払って買いたいウィスキーはいくつかあるが、ジョニーウォーカーのグリーンラベルは、その数少ないひとつである。これは本当に美味い。というか、ジョニーウォーカーの製品で美味いと思ったのは緑だけである。

 

    例外的に、京都のオールドボトル専門店で、30年もののブラックラベルを飲んで、あまりの美味さに言葉を失った経験があるが、こういう一杯は奇跡のような偶然が重ならないと、金を出したら飲めるというものではない。

 

    理由はよく分からないが、コロナ禍前は、コープ(生協)の酒売り場にも置いてあったこの商品が、今は大手チェーンの酒屋にも無い。さらには去年から何店かバーを巡っているが、どこのバーにも置かれなくなった。

 

    なので、Amazonで買ってみた。値上がり幅も、懸念したほど大きくなくてちょっと嬉しい。

     久しぶりに飲んでみて、ああ、この味だったと思い出せたのが、もっと嬉しい。

今夜は悪夢を見ませんように。

 

(昨夜、というか今朝がたの夢は、大量に余って食べられないミンチ肉を、段ボール製のゴーカートに載せて、自分の足で路面を蹴って進みながら、捨てに行って帰り道に迷う・・・という、思い出すことがトラウマになりそうな夢だった。💦)

 

    ちなみに丸くて大きい氷は、バーのように気泡を消すことはできないけれど、百均の容器を使えば冷凍庫で簡単に作れます。

 

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【おまけ】

 

    現在のコメ相場

    白米の新米5kgで、税込み4,500円。

    政治家の言うことなど、庶民の生活実態に対しては、いかに信用できないかということが改めて確認できる。

 

    今考えていること。

    電子が波と粒子の両方の特性を有し、「観測されると同時に」粒子の性質しか示さなくなるという事実は、墓地で見られるオーブも同じなんじゃなかろうか❓

 

    墓地で感じられる気配は波動で、シャッターを押した瞬間に波は消えて、小さな光の粒として撮影される。

 

    占い師やミディアムの言葉も、アナログな雰囲気をデジタルの会話に変換してるだけ。

 

    そう考えると、不思議でもなんでもないな。

    量子コンピュータが実用化されつつあるならば、気配を無時間で感知するヒトの能力は、やはり光速を超える、すなわち時間を超えられる可能性があるんじゃないかな。

 

    運命は、行動してみないと検証できない。けれど予知は確率的に可能。

    結局、当たり前のことを言ってるだけ。

 

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【全国のタイガースファンへ】

10月17日、阪神タイガーズ、セリーグクライマックスシリーズ優勝。

先発の髙橋遥人と、デュプランティエの、試合前の会話。デュープは通訳付き。

 

D「ひとつ教えてくれ、気合注入必要?」

H「ボルテージ、テンションMax」

 

D「もう何も要らんやろ。自分の準備がきっとできてるだろうし」

 「同じだよ、同じ。いつも通り、だろ?」

 「一つだけ違うのは、相手チームにとって最悪な日になることだけ」

H「分かってる」

 

D「来年からタカハシの日、先発タカハシなら、タカハシの日だよ」

「(まだ何かしゃべり続けている)」

H「Thank you、頑張ります。・・・話すオレのターンねえな(笑)」

 「マジで任せろ、オレに」

 

 絶妙な嚙み合い具合。ええ会話や・・・・優しくて賢くて気配りのできるデュープ聖人、来年も残ってくれ⭐

 デュプランティエ、こんな人が自分の友人とか味方だったら、どんなに良いだろう。万人にそう思わせてくれるくらいの人柄は、めったに居ない。

 

 日本シリーズ、日本ハムファイターズの方が対戦相手としては楽しそうだったが、因縁のホークスが相手ということに決まった。今まで日本シリーズでは負けっぱなしなのである。

 戦力的に、今年勝てなかったらもう永遠に無理だろう。緻密でいやらしい戦い方をすれば勝機はある。

 

⭐髙橋遥人;タイガースファンならみんな大好きハルトくん。肩、ひじ、手首と手術を繰り返し、去年は手首に8センチの金属プレート埋め込みながら投げていた。今年のCSでは8回1アウトまでノーヒットピッチング。ケガさえなければ、チームメイトも相手バッターも評論家たちも全員が認める、球界屈指の好投手。風貌は将棋の藤井聡太さんが、さらにぼんやりしたような癒し系の顔で、ヒーローインタビューが一番の苦手。ファームで長く一緒にリハビリを続けた仲間の横田慎太郎さんが亡くなった時に、マイクを向けられて何も話せず、泣きながら走り去っていった姿に、見ているこちらも泣けた。なお、横田慎太郎さんのドキュメンタリー風映画「栄光のバックホーム」は11月に全国ロードショー。

 

⭐ジョン・デュプランティエ;タイガースファンならみんな大好き聖人デユープ。彼のロングインタビューで両親や家族への感謝を語るシーンは泣ける。今年の前半は、異常なほどの奪三振ペースだったが、日本の蒸し暑さにやられたのか、後半は調整が長引いた。来年メジャーに引き抜かれることをみんなが心配している。本人はタイガースが大好きというのは本音だとは思うが、メジャーに行けば給料が10倍になるし、本人が望むなら無理に引き止めるべきではなかろう。なお、ハルトくんが彼のことを「アトランティス」と呼んだのがきっかけで(からかうつもりはなくて、単純に覚えられなかったのだろう)、仲良くなった。

 

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    高市さんが総理大臣になったけれど、株価以外は何の期待もできないな。というか、今の日本で株をやらないのは時代遅れの愚者だというような論説が多くて嫌になる。

    吉村は以前から金魚のフン、下駄の雪になりたがっていたから、驚きもない。

    SNSでは、「我らが麻生閣下バンザイ!」など、わたしから見たら狂気の沙汰の書き込みが溢れていて、渦中に飛び込みたくない。

 

    先日、駅前の喫茶店の軒先で、農家の出張販売があり、特別栽培コシヒカリ新米5kg3,900円を買った。玄米は予約制だが3,800円だという。現在の情勢ではこれがリーズナブルと言わざるを得ない。また買いに行くだろう。

 

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佳句鑑賞 NHK俳句2025年8月号

 

はなびらを風にたたまれ酔芙蓉  川﨑展宏    比喩が自然で佳い。

 

流燈や一つにはかにさかのぼる  飯田蛇笏    観察が的確。

 

灰汁桶の雫やみけりきりぎりす   凡兆             取り合せが佳い。

 

はるかなるものを指しては踊るなり 岡本眸         観察眼が佳いが、作者と距離感がある。

 

人の影わが影踏みて踊りの輪    野見山ひふみ    上手い。

 

無限大描きあめんぼ散りぢりに   大西朋         若干稚拙な作りだが、まあまあ。

 

登山道なかなか高くなつて来ず 阿波野青畝       実感と含蓄がある。

 

恋すれば言葉少しソーダ水  吉屋信子       連作を詠みたくなるような句は秀句認定。

 

緑陰の写真くらくてわれに似ず  相馬遷子        「くらくて」がどちらにも取れて面白い。

 

夜の冬木とほり過ぐれば黒にかへる 篠原梵            ホラー系の句はテーマとして佳い。

 

新雪にわが影法師まだ老いず  古賀まり子         自身を励ます句。 

 

海鼠腸や月まだ色を得ずにあり   日原傳            季重なりだが、酒呑みの句として佳。

 

珈琲はお代わり自由春の雨    井上浩世        素直で佳い。

 

忌日無き兵の墓標や苔の花    奥和民                   気持ちが乗っている。若干煩い。

 

阿蘇の空まるごと入れて田水張る  比見眞理子           類想はありそうだが気持ちの良い句。

 

菖蒲園順路に愛でる人溢れ    小田和夫                パンダ並みの人気。

 

 俳句鑑賞は食事と同じ。SNSに溢れる俳句は経験上100%カスなので、目に入れるべきではない。心に悪い。結社誌は佳句の宝庫・・・であってほしいのだが、実際は数千句のうち、わたしが認める句は10句程度。それを探すためには、好きになれない句、下手したら食当たりしそうな句を何十何百と読まねばならいので、正直あまり乗り気がしない。効率は悪いのだが、でもやはり他の手段でも(たとえばネットで季題ごとに例句を数百調べていても)、佳句はせいぜい50句にひとつあるかないかなので、やはり俳句の勉強自体、効率の良い王道というものは存在しないのだろう。今の課題は、如何にして佳句を拾い飛ばすことなく駄句の怒涛にダメージを負わずに泳ぎ抜くかというところ。今のところ、一日の内で元気な状態である30分程度しか、その作業に割けない。

 できれば毎日、秀句に近い佳句を拾うと上達の助けになる。本当は手帳に書いて覚えるのが望ましい。書いて音読するひと手間で精選するようになるし、学習効果も倍増する。

 上記の中から特選(=秀句認定)を選ぶとすれば、

一席;恋すれば言葉少しソーダ水 

二席;夜の冬木とほり過ぐれば黒にかへる

三席;人の影わが影踏みて踊りの輪  

 

⭐ ここまで読んでいただいた方へ。

 わたしが嫌いな俳句の代表は、「リアリティの乏しい句」。机上の妄想を綴ったような句は最低。そんな最低句がSNS上には溢れかえっている。いかにも花鳥諷詠でござ~い、みたいなナルシシズムの押し付けの気持ち悪い句がほとんど。特に、俳句は詩であるという金科玉条を免罪符として、一見洒落た、浮ついた格好つけだけのことばを並べた句が、初心者(万年初級者)に多い。


 自死遺族ブログのメインテーマから乖離するのだが、誰もきちんと指摘せず野放しになっているので、作句の基本的ポイントというか外すべからざる姿勢について、書いてみようかなとも思う。


 あと、一生懸命句材を説明しているだけの句が中級者には多いが、句因の拾い方を学べば伸びるだろう。料理で言えば、句材は食材、句因が調理、措辞は盛り付けである。句材(食材)に凭れた句が多いが、句因こそが作句(料理)の中核である。その句因が机上の己の頭の中から湧いてくるなんてことは、存在自体が詩である希代の天才詩人でもなければ、奇跡でも起きない限りあり得ない。とにかく句帳を持って吟行に勤しむことを怠っては、作句上達など永遠に無理である。


    SNSで多いのは、句会で揉まれることもなく、初心者同士の甘ったるい馴れ合いだけで、ろくな指導も受けることなく増長し歯止めの効かない駄句のオンパレード。

    俳句は読者の共感を得て初めて完結する。読者の技量が皆無ならば、いくら句会もどきを重ねようが全く無意味だが、人の作品にコメント寄せるのは、読者としての責任と技量が試されていることを忘れてはならない。


    足掛け40年、俳句に関わってきて、俳句ブームと感じたことは一度もないし、単なるブームに乗っかっているつもりのにわか愛好者のうち99%以上(というか、はっきり言うと100%)は、ものにならないまま飽きて辞めてしまうのだろう。あるいは、自分が俳句ごっこに興じているだけということに死ぬまで気が付かずに生涯を終えるのは、本人にとっては幸せなことなのかもしれない。


    秋桜子が「百人のうち一人くらいはものになる」と述べたのは、馬酔木に全句ボツにされようとも、何年も投稿し続けた読者のことを言っているのである。俳句の本道に一度足を踏み入れてしまうと、そこは地獄である。地獄の業火を楽しむくらいの覚悟と酔狂さがなければ、到底俳句の道を進むことなどできはしない。


    俳句は最初から最後まで生易しいものではない。ごっこ遊びは俳句という命懸けの文芸に対して非礼の極みである。


    わたしは秋桜子の孫弟子として、これからもホトトギス派と戦っていこうと思う。


遊郭の窓みな閉ぢてつづれさせ               れすと