戦前までの日本人のイメージってどんなものですか?

「自分を犠牲にして、周りの人や国のために働く」

そんなイメージってありませんか?

今日は、これから解明していきたい、僕が立てている仮説の話です。照れ


こんにちは!

和心伝える消防官の大井聖也です!

「自己犠牲」

この言葉を聞くと、日本人の国民性という印象、少なからずありますよね。

野球で例えるなら、送りバント。

自分を犠牲にして、周りの人の都合を優先する。

それこそが日本人、みたいなイメージってあると思います。

果たして、それは、何千年も脈々と受け継がれてきた、"日本人らしさ"なのでしょうか?

僕は今、論語や武士道など、江戸時代の日本人の道徳観や価値観を勉強しています。

その中で、ある仮説が立ちました。

それは、

「日本人は、自分を幸せにすることを、最も大切にしていたのではないか」

という仮説です。

それは、「自分さえ良ければいい」という考え方とは異なります。

なぜ、その考え方に至ったのか。

様々ある中の一つとして、「家」を大切にする価値観が、そのヒントになりました。

江戸時代の、特に武家は、「家」を守ることが何よりも大切でした。

「家」とは、自分の家族です。

親兄弟、祖父母、パートナーに子ども、そしてご先祖様。

先祖代々続く家族が生きる「家」を守っていくことが、すごく大切だったのです。

その時思ったのです。

あれ?

この考え方と、自己犠牲って、混じり合わないよな?

だって、「家」は、個人が属するコミュニティの最小単位です。

もし、自己犠牲を最優先する文化であれば、身内である「家」も、犠牲にすべき対象なはず。

国の繁栄でも

藩の繁栄でも

村の繁栄でもなく

身内である「家」の繁栄が最も大切だったのです。

しかも、また「家」っていうのが、日本人らしいですよね。

これは、個人主義とはちょっと違いますよね。

人とのつながりの中にある、自分主義

だと思います。

まさしく、和の心ですよね。

個人主義なんてものは、明治維新になり、西洋の文化を取り入れよう、という動きの中で入ってきたものです。

西洋の文化を浸透させるために植え付けられた、間違った思い込みが今でも多いです。

それをひっぺがし、本当の日本人を見つけたい。

少し話が脱線しましたが…

話を戻して、少し穿った言い方をすれば、

人とのつながりの中に生きねばならない人間

そして、

人間は自分が一番大切であるという現実

この2つを踏まえた上で、皆が幸せに生きられる社会や、考え方

それを昔の日本人は、実践していたのではないか。

個人主義でも不十分、全体主義でも不十分。

2つのバランスを上手に取っています。

まさにこれは、

中庸ですよね。

日本人は、

人とのつながりの中で、

自分を幸せにすることを、

最も大切にしていたのではないか。

そんな仮説を証明したい。

そうすれば、まず日本人である自分が幸せになれると思います。

どんな人も住みやすい世の中になると良いですよね。

日本人の精神性が世界を引っ張って、世界中の人が安らかに過ごせる世の中になったらな。

そんな夢を見ています。