コービー・ブライアント(あとがき) | NBAグッズ・NCAAグッズ レプリソームのブログ

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新入荷のグッズをショップサイトに掲載した後の掲載後記(https://www.replisome.jp/)
サイトにはなかなか掲載する機会のない買い付け先(アメリカ)の画像
物販やそれ以外でのレプリソームの活動をアップしています。

 先のブログでもお話しましたとおり、当店とコービー選手とのお仕事でのご縁にはあまり恵まれず、逆にレイカーズのライバルチームであった、ピペン選手らのブレイザーズ、ウェバー選手らのキングス、中堅チームへと台頭してきたマーベリックスのグッズ特集をしており、むしろコービー選手というと、当店にとって辛酸をなめさせられた相手でした。

また、これまでギリギリな状況でのシュートを決めて勝利したり、プレー環境をまた一から作り直して連覇してきたりと、バスケットやNBAの常識では乗り越えがたいと思われる苦境を凌駕してきたコービー選手に対し、どことなく無敵のイメージを勝手に持ってしまっていたためか、関わりが薄い当店や筆者でさえも、1年前の事故には大変な衝撃を受けました。


 筆者には、育ての親である祖母がいました。
おばあちゃん子だった筆者は、祖母の友人からも彼らの孫のように可愛がられ、祖母のお葬式の日には、その友人らが足を運んでくださいました。
ただ、彼らが私を見るにつけ、口にした言葉が
「(私の)顔を見ると、かわいそうで見ていられない(または、見たくない)」
つまり、私と会うと祖母の死を思い出して悲しく、つらくなるから顔を見たくないというのです。

これは筆者とその祖母を思ってくださっての言葉なので、大変ありがたいと思うと同時に、何とも言えない気持ちになりました。

1月 26日。
毎年この日がくると、おそらくは多くのファンがあの時の事故を思い出し、胸を痛めることになるのではないかと思います。
コービー選手は、そのプレースタイルやコート外での出来事が原因で批判されることがありました(往々にして、スター選手にはつきものなのですが)。
それでも、前向きにキャリアを全うしたコービー選手の性格を鑑みるに、ファンが自身を思い出すたび、常に嘆き悲しむことはありがたいと思いながらも、本意ではないと感じるのではないかと、上の経験とあわせて筆者は思います。

むしろ、悼むのは少しにして、これからのレイカーズ戦、プレイオフでの接戦・激戦を見た時、「コービーだったら、こうしていたろうな」と想像したり、「あの時のプレイオフは、こんなだったな」と、活躍などを思い出してあげる方が、コービー選手にとって供養、たむけになるのではないでしょうか。


 人は2度死ぬ、という言葉があります。
肉体の死を1度目、そしてその人の存在が人々の記憶からも失われ、忘却されることを2度目の死と捉えた言葉です。

10年、20年と経てば、いずれコービー選手がどんな選手だったかを知らないファンの方が増えてくると思います。
それでもコービー選手を知る今のファンが、
「昔、日本の神戸(牛)と同じ名前のすごい選手がいてね…」
と、未来のファンたちに語れば、2度目の死を与えないことになります。
同時に、それは一部ながらも、NBAや日本のバスケットボールの歴史を語ることでもあり、当時と今を知る人にしかできないことです。

命日、誕生日、優勝した日(特に後半の連覇)、81得点した日など、その時々でSNSで悼んだり、語り続けることは、ご本人が亡くなっても、その人のファンであり続けることにつながるのではないかと、筆者は思います。