スパーズの#20 | NBAグッズ・NCAAグッズ レプリソームのブログ

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新入荷のグッズをショップサイトに掲載した後の掲載後記(http://www.replisome.jp/)
サイトにはなかなか掲載する機会のない買い付け先(アメリカ)の画像
物販やそれ以外でのレプリソームの活動をアップしています。


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 2002-03シーズン、それまでずっとスパーズを支えてきた、提督ことデビッド・ロビンソン選手がキャリア最後のリングを獲得し、引退しました。
そして、当時まだ若手だったジノビリ選手も、今オフに引退を表明しました。

それまでのスパーズといえば、ロビンソン選手を中心に、
 

 ボールを運んで確実にポストに配給するPG
 相方のセンターほか、他の選手がこぼしたシュートをリバウンドするPF
 ポストから戻ってきたボールを外角シュートで確実に決めるSG、SF

という布陣で、ダンカン選手が入ってからも似たような状況で、アクロバチック、スピーディという言葉からはほど遠いチームでした。

また当時は、シャキール・オニール選手が全盛期の頃で、リーグ内でもハーフコートのプレー、特にインサイドでの攻防が非常に重視され、ビッグマン以外で試合中にダンクできるのは稀でした。
大抵は、両ポストにCないしPFがいるので、バックコートの選手がダンクできるのは、極端な話、速攻の先頭を走る選手だけと言っていいほどで、ナンバープレーでボールを保持しながらゴールに向かうことはあっても、プレーを保つだけで精一杯なのか、その多くのシュートはレイアップでした。

そんな中、ナンバープレーにも関わらず、最後はダンクまで持って行ける余裕を見せる選手がいました。
それがジノビリ選手でした。


2003年のNBAファイナルでは、スティーブン・ジャクソン選手と共に外角シュートを決め、華やかさだけでなく、SGとしても完成されているのを見て、
「本当にいい選手、この選手のグッズを扱いたい」
と思い、2004年に初めてサン アントニオを訪れました。

余談ですが、当時はヤオ・ミン選手が1位でドラフトされ、ノビツキー選手とナッシュ選手を擁するマーベリックスが強豪ジャズをプレイオフで破ったりと、外国籍の選手が活躍し始め、アメリカ国内での評価が上がり始める頃でもありました。
田臥選手もこの頃です。


ダラスから車を走らせ、サン アントニオの街に着くと、旅行記でもご紹介しましたとおり、取引先の会社にはダンカン選手の次にジャージが多いのはジノビリ選手。


特にその頃は、現在のような坊主頭ではなく、「髪が長いイケメン選手」だったので人気は尚更で、また、「ジノビリ」の発音では通じず、「ジノブ/ビリ」のように、ブとビの間のような発音や、Vのような発音でないと、しばしば通じないということがありました。

2004年というタイミングでもあったので、当店が日本で初めてジノビリ選手(とパーカー選手)のジャージやグッズを仕入れたお店ということになり、そして幸いにもお客様からご好評いただき、人気選手というだけでなく、お店に自信を与えてくれた選手でもありました。

 

この数年後に東京五輪が決まり、筆者の親族がアルゼンチン協会に勤めていることから、同協会へ「五輪やオフシーズンにジノビリ選手やスコーラ選手といったアルゼンチン選手を日本へ呼べませんか」と打診したことがあります。
本当にいい思い出ばかりです。


純粋にファンだった選手が引退の時も、さびしく切ないものですが、ジノビリ選手のように縁深い選手の引退は、また一味違ったさびしさを感じます。

思うがままに思い出話を書いてしまいましたが、ジノビリ選手に感謝と尊敬の意をこめて。

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