今回は私が子育てをしていく中で
意識してきた事や
気をつけていた事や
学び成長出来た事を
書いていきたいと思います。
我が子が無事に成長してもらいたい。
誰からも傷つけられたくない。
誰だってそう願うだろう。
しかし実際は理不尽な世の中で
生きていく準備をしなくてはならない。
家庭の中ではまかり通る事も
学校や世間では通らない。
しつけというものを各々の
家庭で幼少期からしていかなければ
いけないのだがそれは
各々だからいざ集団生活が
始まった時にすごく
差が出てくるのも確かである。
個性と常識との判断基準も
人によって受け取り方や捉え方が
違うので家庭や親の考えを
しっかり持っていないとブレてしまう。
学校の先生たちも
扱いやすい生徒の方が楽なのは
確かだろうし個性を伸ばすより
みんな一緒にが出来る方が
集団生活の中では重んじられるのが
一般的な日本の教育現場だと思う。
それが良いとか悪いとかではなく
現実の中で我が子が成長していくんだ。
そこで色々な経験をして
学んでいくのだ。
親としては子どもが
スムーズに進んでくれる事を願うだろう。
しかし色々な事がやってくる。
スムーズに行かせるために
親は子どもが進む道を綺麗に
整えてあげてつまずかないように
石ころを拾ったり
草を抜いたりして整備したくなる。
我が子が転ばないように。
でも私は点々と石や岩を拾わないように
わざと残していくように気を付けた。
自分でつまずきながら
自分で拾う事を学んでほしいと
思っていたので整備しすぎない
我が子の道作りを意識していた。
我が子の道を人生を
全て整備できないのがわかっている。
いずれ私の方が早く死ぬのだから。
自分で自分の道を綺麗にして
管理していかなければ
いけないのだから身に付けて
ほしいとの願いから
あえて全ての石や岩は片付けない
そんな感覚、イメージで
子育てをやってきた。
整備されている道は歩きやすい。
順調に進んでいけるだろうが
綺麗にした道にも落下する岩が
親が拾った後に落ちたりして
完全に安全な道を作ることは出来ない。
雑草も抜いたとしても
やがてまた生えてきて
完全に綺麗な道を作ることは出来ない。
ようは自分自身が石を拾い
岩を砕き雑草を抜きながら
自分の道を歩んでいかないと
いけないのが人生なんだと思っている。
時として人の手をかりて
岩を砕かないとどうしようも出来ない
場面もあるだろう。
手伝ってほしいと頭を下げる時だって
きっとあるだろう。
そんな時に素直に助けを呼べる人に
なってもらいたいと思う。
そして助けてくれる仲間を持っている
人に成長してほしいと思い
あえて整備しすぎない道を
我が子たちには用意する事を心がけたのだ。
何でも用意周到な親から
育てられた子どもは突発的な事に
すごく弱いと感じられる。
臨機応変に考える能力が育ちにくい。
逆に放置しすぎると身動きが取れなくなり
前に進む意欲が乏しくなる。
好奇心ではじめは良いのだが
前が見えなくなり
スピードが落ちてしまい
やがて気持ちまで落ちてしまう。
整備しすぎないで
放置をしない
絶妙なバランスの道作り。
それを想像しながら
私は3人の我が子の道を作ってきた。
あの石に躓きましたね
あの岩の処理に手こずってますね
あの雑草は伸びがすごいからねとか
私が残した部分にきた時に
どう関わっていくか
そこがポイントだと考えていた。
拾い方や砕き方や抜き方を
はじめは教え次は手伝い助言し
大きな岩なら友だちにも手伝ってもらい
そして自分で出来るように見守る。
見守るのは信じる力がないと
なかなか出来る事ではない。
口を出し手を出す方がずっと楽である。
見守るのは我が子を信じる自分軸がないと
簡単に出来る事ではないと思う。
そして勇気がないと出来ない事でもある。
どうしたらいいか相談を受けられる
人(親)になりたいと思って
子どもとの関わり方を心がけた。
自分自身を振り返ってみて
果たしてどんな道を歩いてきたか
子育て中は良く考えたりもした。
良かった事や悪かった事を
思い出しながらその経験を
活かしていきたいと思っていた。
自分が処理出来なかった
残してしまった避けてしまった
石や岩や雑草が子どもを通して
また自分に返ってきている
感覚も子育て中にはあった。
もう一度私も再チャレンジだと
子どもたちの相談にのったり
手伝ったり見守ったりしながら
共に歩いてきたなと振り返ると感じる。
自分の目の前の壁は越えられる。
若い頃は蹴ってでも砕いてやるんだと
正面突発を目指していくタイプに
成長した私なんだが
子育てをする中で違う考えも
持てる自分に成長する事が出来た。
その壁や岩を今は越えられるない
砕けない時は正面突発しなくても
大丈夫だなんだという考えだ。
隅っこを壊して前に進んでも良いし
かわして行っても良いし
遠回りして進んでも良いし
越え方も色々な選択肢があるんだと
気づく事が出来たのだ。
わざわざ正面から挑まなくても
そこをかわして前を進む方が
良い場合もあるんだとわかった。
自分の道を振り返った時に
案外小さな壁や岩だったんだと知り
後で引き返して壊せばいいし
砕けばいいんではないかと
私の考え方が変わっていった。
子どもたちを通して教わり
成長出来たと実感している部分である。
絶妙なバランスで整備した
私が作った子どもたちの道を
それぞれ自分で歩んできた3人の子どもたち。
大人になるにつれ
私が作ってきた道を自分で
作り管理していける力を身につけていった。
そして今となれば
私の道の草取りを手伝ってくれる
頼もしい大人へと成長している。
ありがたい事だと感謝している。
完璧にはできません。
完璧なんてありません。
それをわかっているからこそ
人は人と生きていくんだと思います。
そう、相手が困っているのなら手を貸し
人の手も借りたりしながら
自分の道を進んでいくんだと思います。
寄り道したって良いし
ちょっと遠回りもOKです。
ただちゃんと前を見据えて
目的、目標を見失わなければ
大丈夫なんだと思います。
私もまだ人生半ばです。
これからも笑顔をお供に
自分のスピードで
進んで行きたいと思っています。
その姿がきっと
子どもたちへの私からの
最後のプレゼントになる事だと
思っているところです。
あなたにとって
素敵な一日になりますように😊