前に私の生い立ちとかを

書いていますが

私はマジで勇気がない子でした。

反抗も出来ない臆病な子でした。

今までの振り返りをしていく中

私の心の奥底に置き去りになっている

もう1人の自分をやっと見つけました。

そんな事を書いてみようと思います。


もともと読書や勉強は好きだったが

親から管理される事が本当に嫌だった。

宿題とかも親が隣に座り

あーだこーだと口を挟まれる事が

やめてくれないかと思っていた。

しかし何も言えなく萎縮していった。

勉強勉強と言われるたびに

勉強が嫌いになっていったが

成績が悪いと怒られるので

仕方なく点数を取る勉強をした。

成績の事となると深夜まで説教がある。

両親の説教は本当に嫌だった。

今なら間違いなく家出をする(笑)


中学校は1クラスに40人ぐらいで

8クラスあり1学年320人を超えていた。

2校の小学校が一緒になっていたので

中学からはじめましての子がいた感じだった。

昔はテストの結果を廊下に張り出したりしていた。

中間テスト、期末テスト、学力テストと

上位100人の成績がそのたびに貼られていた。

だから頭の良い子は皆が承知なのだ。

この張り出しに名前がなかったりしたら

それはそれは親から怒られるのが常だった。

したがってテストで点数を取る勉強

ようは丸暗記に徹していた。

しかし丸暗記をしても記憶はやがて忘れていく。

理解していないと実力がつかない。

定期的なテストは誤魔化しがきくが

実力テストになると範囲が広いので

本当の学力がリアルに出てしまうのだ。

その結果が良くない私は

自信を失いテストが憂鬱でしかなかった。


高校受験準備の頃は志望校で

かなり親とはもめたのを覚えている。

母は進学校しかないと父も卒業した

県ナンバーワンの高校にと思っていた。

しかし私は逃げたかったのだ。

勉強勉強の毎日を後3年続ける勇気が

どうしてもわかなかった。

それで私のその場しのぎの策を出す。

芸術校への進学を懇願したのだ。

全国にも珍しい高校で

クラスは1学年2クラスで

音楽と美術にそれぞれ40人定員。

付属で短大もあるが有名芸術大学にも

優秀な人は進学出来る高校だった。

そこへの受験をしたいと親に言った。

母が望んでいる高校へ行っても

私の成績では中の下

いや下の上ぐらいなもので

受験すら合格するとは限らない。

美術の成績が良い私は絵に自信があるので

3年間美術の勉強をしたいと訴えた。

そこで父が賛成してくれたのが意外だった。

母をなだめてくれ無事に芸術校へ受験した。

母は合格すら喜んではくれなかったが

私は開放感いっぱいで気が楽になった。

少しだけ自由になった気がしたんだろう。


高校へ入学してすぐに

間違った所に来たとわかった。

クラスの雰囲気も中学の頃とは全く違う。

40人中8人が男子であとは女子で

簡単に言うと暗い感じの人ばかりだった。

今でいえばオタクの集まり?みたいな

表現が1番わかりやすいかもしれない。

笑うポイントもついていけないし

私は異国にいる感覚で馴染めなかった。

これは逃げたバツでもあるんだろうと感じ

自分の選んだ道に対して自信はガタ落ちとなった。

残念ながら友だちと言える人は

数人しか出会えずに高校時代は終わった。


進学校へ受験してもし落ちたら

恥ずかしいので芸術校へ逃げた私。

落ちない様に一踏ん張りする事が嫌で

楽な方を選んだ結果が今あるんだと

高校時代は後悔に近い心境で過ごした。

絵だって学校内で上手いねと言われてたぐらいで

好きで好きでまだ描きたいという程の

情熱があるわけではなかった。

ようは安易な考えだったのだ。

確かに勉強はしなくても大丈夫になったが

今度は違う事での苦しさを経験した3年間だった。

頑張らないといけない時に

逃げる方法を考えるより

やはり頑張らなければいけない。

頑張った結果がどうであれ

チャレンジをしないのが

一番卑怯者だと痛感した。

楽ではあるが楽しくないって

自分の居場所ではないところに

自らの身を置いてしまった結果なんだと

落ち込んだ頃も今となったら懐かしい。

ちなみに高校は3年間クラスは変わらずに

卒業まで進むんだが

名前や顔をほぼほぼ忘れている。

何人かは記憶にあるが

後の人は名前と顔の一致は出来ない。

それだけ心ここに在らず状態だったのか

温室の中でも育つ事が出来ない

弱い自分がいたのだろうと思う。


中学から高校と多感な時期

自分の気持ちや意思を話せる

家庭環境を私は作りたいと

自分の生い立ちから学びました。

だからこそ中学までの間が重要で

幼少期からの関わりがあとあと必ず

響いてきます。

急に気持ちを話しなさいなんて言って

ベラベラ喋る子はいない。

小さな頃から気持ちを言い合う習慣を

家庭の中で作っていかなければ

思春期にでも突入したら

何を考えているかわからない状態になると思う。

大切な我が子だからこそ

気持ちを話し合い理解しながら

一緒に成長したいと願っていた。


自分の嫌な部分や弱点を

自分自身が認めるのは辛い事でもあります。

忘れてしまう方が楽だし

美化したりして他責になりがちです。

しかし源は自分なんだと気づくと

落ち込み自己嫌悪に落ち入ります。

そんな時はとことん落ち込んで良いと

自分に許可を出します。

自分自身に向き合う大切さを

ひと段落した私は感じているところです。


生きていくうえで

判断ミスはある事です。

最善を尽くしたつもりが

結果として最悪だって事もあります。

過去は変えられないけど

未来は自分次第で変われます。

もう一人の私と共に

家族の愛に感謝しながら

私の出来る事を模索していきたいと

思っている今日この頃です。


あなたにとって

素敵な一日になりますように😊