私は離婚経験者です。
今は再婚をして
子どもたちも独立して
3匹の愛犬と主人との暮らしを
ゆったり堪能している最中です。
23歳で結婚して3人の子宝に恵まれ
45歳の時に離婚しました。
離婚の原因は色々あります。
なかなか文章で表すのは困難です。
元主人(彼)との出会いは
就職先の同期入社だったという経緯。
彼は高校生からの入社
私は短大生からの入社だった。
野球でのお誘いがあり
彼は野球を続けたいがゆえに
入社を決めたと言っていた。
同期入社の仲間としての出会いだった。
大の野球好きな私は
会社の野球部の応援に行くようになった。
社会人野球も
高校野球とはまた一味違う
素晴らしさを感じた。
そんな中で3年半の交際期間を経て
結婚を決めた。
彼の生い立ちを知り
私が幸せにしてあげたいと思い
私の舟にどうぞって招いたんだろう。
きっと彼の舟ではなく
私の舟だったんだと気づくのには
それからの時間が必要だった。
彼は会社の野球部のエースだった。
全国大会にも毎年出場する
強いチームでガチでやっていた。
遠征もあったりで
仕事をしながらの練習や試合の為
家族との時間を犠牲にしながら
一生懸命大好きな野球を続ける
そんな彼が私は大好きだった。
しかし二人だけならわからなかった事が
結婚生活の中でどんどんと出てきた。
彼の家族との関わりや
子育ての考え方の違いや
彼との間にどうしても埋まらない溝が
広がっていったのを止められなかった。
今こうして書けるのも
心の整理が出来たからであって
やはり時間がかかってしまった。
彼はとても優しい人だった。
屈託のない彼の笑顔は
私を幸せにしてくれた。
長男が誕生して子育てをしていく中で
彼はどう我が子と接すれば良いのか
わからないと言うのだ。
どうあやしたり遊んだりしたら良いのか
わからないと言うのだ。
愛情はあるんだが接し方がわからないと。
私も新米ママではあるが
自分の親をイメージしながら
我が子への愛情表現をしていると
話してみるんだが彼には通じなかった。
自分が親から愛されている実感がないと
衝撃的な言葉を聞いた私は
あなたは我が子を愛すれば良いんだし
あなたの様な気持ちを持った大人に
ならないように一緒に子どもを
育てていこうと何度も話し合った。
こうしたら良いんだよと
手取り足取りで父になってくれたと思う。
私も彼も若くまだ未熟だったが
その時その時最善を尽くしたと思っている。
一つの例を思い出した。
彼は食事の時に子どもがテレビを見たり
好き嫌いがあり食べ残したりするのが
とても嫌だったようで注意をよくしていた。
お箸の持ち方も気になったりで
ちゃんと教えてくれないかとよく言われた。
その夜の食卓でもいつものように
注意をしていた彼に私は後で話があると告げ
子どもたちが寝た後に私の意見を言う事にした。
私は彼に言った。
私は一番大切にしているのは楽しい食卓なんだ。
テレビを見て笑ったり
色々な話しをして笑ったり
楽しく食事をする事が
何よりも一番の栄養だと思っている。
お箸の持ち方だって
本人がおかしいと気づいたら
自分で直していくだろうし
ママはこうして持つんだよと伝えているのに
パパからも色々言われたら
お箸を持つ事が嫌いになるではないか。
家族で食事をするのが
嫌いになったら私は悲しい。
好き嫌いがあっても良いではないか。
大人になって好きになったりもあるし
ある程度食べれたら問題はない。
それよりみんなで笑いながら
楽しい食卓を私は作りたいんだ。
彼は黙って聞いてくれたが
そう思うんならそうすれば良いと言った。
良かれと思い注意してきたが
俺は何も言わないから思うように
やっていけば良いという返答だった。
私はそうだよねと言ってほしかっただけなのに。
しかし一方通行の話し合いにしか
出来なかった私がいたんだと今は思う。
色々な事に対して結局は
自分も考えを変えれないし
私の思ったようにすれば良いじゃないかが
当たり前のようになっていった。
彼が現役で野球をしていたまでは
意見や色々な違いや溝は
どうにかなると信じていたんだが
野球を引退してからの彼は
目的や目標を失ったかのような目をしていた。
息子の野球に関わりながらも
本人の夢や希望は曖昧だった。
会社を勝手に退社したのも私は許せなかった。
したい仕事があるのも知っていたが
私に相談もなく退社したのは
想定外の事でショックだった。
今からの子どもたちの成長や家族を
かえりみない行動だと信頼が崩れ落ちた。
それと酒癖の悪さにも苦しんでいた。
酒に飲まれる彼にはうんざりしていた。
女性関係にも信頼はしていなかった。
それらは原因の一つ一つではあるが
大きな原因はそこではなかった。
話しが通じ合わない事が一番辛かったのだ。
自分の気持ちや考えを自分の言葉で
私に伝えてくれなかった事が
なんとも言えない孤独感を私に残していき
その積み重ねが寂しくて悲しくて
どうしようもなくなっていたのだ。
私の言葉が彼を萎縮させたのかもしれない
自己嫌悪の中で過ごすのも嫌になっていった。
人間、話し合えば解決出来ると思い
情熱を持って一緒に生きてきた相手に私の
心が通じない歯痒さを相手のせいにした。
たぶん主人を自分の所有物だと
勘違いをしていたのかもしれないと
今の私は思う。
私が正しくてあなたが間違っているという
話し合いだから一方通行になったり
喧嘩になっていたのだと思う。
お互い正解だよねという前提がなかったのだ。
私の正しさを押し売りしていたんだ。
私や子どもたちよりも
違う女に恋をするのも
許せなくなっていた。
私と子ども、イヤ私にずっと恋をしてほしかった。
彼と生きていく意味がなくなった。
後何十年と共に生活する意味がわからなくなった。
大好きだった彼は
大嫌いな彼になってしまった。
何年か前までずっと許せなかった。
今の主人と出会い幸せな時間を
取り戻した感は確かにあったが
心のどこかで彼を許せない自分が嫌だった。
しかし娘の色々な知り合いの方々との
関わりを持つにつれて私の心は
どんどん軽くなっていったのだ。
そしてある一冊の本との出会いがあった。
その本は娘が教えてくれた。
グラッサー博士の[選択理論]という本だった。
私の考え方を変えてくれる
きっかけになった本なのだ。
娘が私の心の闇にずっと付き添ってくれ
光を照らしてくれて開放してくれた。
そんな3年前があったのだ。
彼を私の舟に招いて
私主導で舟を漕いでいたんだと
やっとわかった。
彼の舟に乗って補修しながら
私たちの舟を作ればきっと違っていた。
幸せにしてあげたいと
勝手に私が舵をきっていた自分の誤ちに
気づいたのが心の開放をしてくれたのだ。
離婚当初から子どもたちには
父親は彼だから自由にしてほしいと
話しはしたものの
私を支えなければと
不自由な気持ちをさせたと思っている。
娘も暫くは父親と
音信不通状態になっていた。
全て私と彼の責任である。
幸せになる為の離婚とはいえ
ハッピーではなかった時期もあった。
時が解決してくれるものもあるかもしれない。
今の私の心はあったかい。
それは今のパートナー、主人のおかげでもある。
子どもたちの愛と犬たちからの愛
主人からの愛とで
心はあったかいくなっていった。
彼がいなければ子どもたちもいなかった。
こんな素敵な子どもたちに会えなかったのだ。
憎むどころじゃない。
ありがとうしかないんだ。
やっと気付けた。
私の離婚経験は
自分の未熟さだったと
甘酸っぱい記憶の中に置く事にしました。
そしてそんな私をいつも応援してくれる
今を一緒に生きている主人に
思いっきり甘えようと思っています。
私の舟はしっかりキープで(笑)
彼の舟にも乗って乗り心地を
吟味しながら楽しみたいと思っています。
お互いの舟を大切に
時に互いの舟に身を任せたり
自分の舟に戻ったりしながら
いつも見える所で旅を続けていきたいのです。
そんな思いが私の再婚です。
前にも横にも後にも
素敵な舟がある私にとっては
もう迷う事なく幸福島へまっしぐらしかないのです。
笑ってあの頃を振り返る事が出来るのも
子どもたちと主人と愛犬のおかげです。
そして彼のおかげでもあります。
違う舟の人にはなりましたが
どうか元気に過ごしてほしいと
思っています。
離婚に対してやっと良い経験だったと
思える自分になれた事は成長でもあります。
そこに至るまでは子どもたちの存在が
大きく私を支えてくれました。
子どもたちのお父さんとも自由に
交流してもらいたいし
もう1人子どもの味方をしてくれる人も
増えた今現在です。
そのご縁も私は大切にしたいと思っています。
あなたにとって
素敵な一日になりますように😊