長男は小学2年の2学期から

通っていた学校の

少年野球団に入団しました。

主人が野球をずっとやっていたのもあり

プロ野球を目指してのガチ組でした。


小学4年生からは

主人もチームのコーチになり

練習に励んでいた。

そんな野球中心の生活をしていた。


少年野球は盛んに行われており

色々な大会があって

シーズンともなれば

大会に向けての練習試合があったり

週末は朝から夕方までグランドだった。


その日も大会前の練習試合で

違う小学校に行って

2試合する予定となっていた。

新チームとなり意気揚々とスタートするに

ふさわしい強いチームとの練習試合だった。

長男は小学5年生

もちろんレギュラーだ。

ポジションはサードかショートの内野手。

バッティングが良くて

打順は1番が多かった。

ホームランバッターではなく

アベレージバッターだ。


1試合目が終わり昼食をとり

午後から2試合目という流れだ。

1試合目は勝ったと記憶している。

目指すは全国大会と監督をはじめとした

コーチ陣も親も子どもも真剣だった。


2試合目が始まった。

接戦となりたぶん負けていたと。

長男が2塁打を打ち次がバントでサードへ

その後のホームで事件を起こしてしまった。

私が。


たぶんバックホーム体制での

次のバッターがショートの頭を

超えるぐらいの強いゴロを打った?時だった。

長男はホームにスライディング

ショートはバックホーム。

キャッチャーと交錯したんだが

アウトとなり長男は立ち上がれない。

キャッチャーがホームベースのところで

スパイクをランナーに向けてカバーしていた。

そのスパイクの刃で長男の足から出血している。

私は応援席から飛び出し

長男のところに駆け寄った。

膝からの出血でユニホームは赤く染まっていた。

「大丈夫?」

「折れてると思う…」

私は激怒した。

相手側のベンチに行き監督に怒鳴った。

「スパイクを立ててカバーして

 交錯プレーで怪我をさせる

 指導をしてるのはおかしいだろうが」

ビックリしている首脳陣に

「誰か答えんかい!」

その時だった

私は両脇を抱えられ引こずられていた。

右には我がチームの監督

左には主人が。

「話しがおわってない!」と言いながら

私はベンチ横の父兄のもとに強制送還され

他の父兄にガードされ動けなくなった。

監督は相手側のベンチに行っている。

主人は長男をおぶってグランドを出ていた。

試合は中断となっていた。


主人は日曜日の当番医を調べている。

そして長女と次男を連れ

家族全員で病院に行った。

骨折はしていなかった。

膝の傷は縫った方が良いと言われたが

長男が拒み主人も自然に治ると言うので

処置だけをしてもらった。


練習試合も終わりチームは

学校に戻るとの知らせで

私たちも向かった。


学校に戻るとみんなが心配していた。

主人が説明してくれて

「あ〜、良かった」の声。

集合したところで主人が前にたった。

「申し訳なかったです」深々と頭を下げている。

試合を中断させてご迷惑をおかけしたと

誤っているではないか。

私のせいなのか?

私の行動を誤っているのか?

恥ずかしいやら何で?なのかも

わからずに私は主人の顔を見た。

そしたら凄い怖い顔で私を見てきた。

「何でですか?我が子がやられて

 私はやり返しますよ!

 あんなガードの仕方を教えたら悪いでしょ」

まぁ、まぁ、みたいな空気。

夫婦喧嘩勃発かの空気。


相手側の監督から謝罪があったと

監督が話し始めた。

選手の怪我の具合を知らせてもらいたい事と

あのお母さんに謝りたいと

練習試合が終わり帰る時に言われたらしい。

少年野球の試合で

親が乱入したのは

長い監督をしていて初めてだと

話しは続いていた。

前代未聞の事だが

改めて大切なお子さんを預かっているんだと

身が引き締まったと言った。

監督、コーチに野球の事は

任せて頂きたいが

親御さんの気持ちをしっかり受けて

強いチームにしていきたいので

今からもよろしくお願いしますと。

私はでしゃばったんだろう…か。

ただ、折れたと言った長男のみたてはハズレだった。


その夜主人と話した。

私を責めたりもしないで

長男が骨折でなくて良かったと話していた。

私のした行動を

「みかちゃんらしいなっ」と笑ってくれた。

あの怖い顔じゃなくて笑っていた。


あの頃のメンバーが揃ったら

必ずこの話しで盛り上がります。

今でもたまに飲みに行ったりするメンバー。

私は問題児だったのかもしれませんが

主人と息子はそんな私を

放置する事のできる

あったかいメンズたちでした。

前代未聞であろうがなかろうが

私はやるんですって

開き直るヤンチャな母でした。


今となれば大人気ない私だったと思いますが

真顔でしたよ、あの頃は😅

我が子を守る為なら

どんな奴でもブッ飛ばす覚悟を持った

実践タイプでした。

⚪︎⚪︎の母ちゃんこえーよなっ!

あったりまえじゃん

⚪︎⚪︎のバックに私がいる事忘れるなよ。

ただじゃ済ませないから。

そんな会話を長男の友だちと

できる私は破天荒だと言われました。


そんな私を母に持つ3人の子どもたちは

恥ずかしいと感じた事もあったと思います。

しかし不思議なもので

慣れるんですかね?

言っても無駄と判断してたんでしょうかね?

やめてほしいと一回も言われた事は

ないまま今に至っています。

声がデカすぎとの注意はありましたが

迷惑だからとか批判的な

注意は全くなくやってこれました。

愛は痛いほど感じていたと

大人になった3人からは

口を揃えたかのように言われますが。

不器用な私ではありますが

しっかりと想いは伝わって

3人は成長していったんだと思います。

苦労はかけたとは思いますが

いらない苦労ではなかったと思っています。

私のあふれんばかりの

愛のエネルギーは

限りなく湧き出てしまうんです。

私の最大の武器ですから

もはや仕方ないんですね。


表現はみな違うだろうし

正解はないです。

ある意味みな正しいと思います。

私は私の表現で3人の子どもに

愛を捧げるだけなんです。

他人にどう思われようが

笑われようが

しったこっちゃないんです。

真っ直ぐに我が子と向き合い

我が子がどう思いどう成長していくか

それが答えなんですから

自分らしく子育てをしていけば良いんですよね。


エピソードはたくさんあります。

自分は忘れていて友だちから

そう言えばなんか言われたら

あ〜、またやってる💦と

恥ずかしい事ばかりですが

笑い話になっていて面白いです。


きっと3人の子どもたちは

私について話したら盛り上がるでしょう。

たまに話しているようですが

私は聞かないでおきましょう。

子どもたちが親になって

悩んだりした時のために

私のエネルギーはとっておかないと

いけないので今はそっとしておきます。


笑い話になる過去たちが

子どもたちのおかげで増えました。

黄金時代は

あ〜、眩しい✨

そして今からも輝き続けますよ〜。


今日があなたにとって

素敵な1日になりますように。


         では、またねっ😊