今日は戦国武将の徳川家康の命式です。
生まれた年月日と時間で四柱四文字から全て正気を出しての命式表と見てください。

世間的には徳川家康は勇猛果敢な大物武将というイメージですが然に有らずです。



[命式]
時  日  月  年
-------------------
壬  壬  癸  壬  :干
寅  寅  丑  寅  :支
甲  甲  己 甲  :蔵干
比肩    劫財 比肩 :天干通変
食神 食神 正官 食神 :蔵干通変星
病  病  衰  病  :十二運
38  38  49  38  :干支番号
漏干干支

[五行]
木: 2 , 1
火: 0 , 0
土: 1 , 0
金: 0 , 0
水: 3 , 1


まずは日干は弱いし比劫のライバルに頭は上がらなかったです。年上の比肩は同じ武家の生まれの織田信長に諂ってたし、月上の刧財は六つ年上ではあるが、百姓の子倅の豊臣秀吉にも秀吉が生きてる間はシモベでした。

そんなライバルの秀吉が天下を統一して天下人となって栄耀栄華を満喫してるのを傍で指を咥えて待ってるしかなかったのです。(日干が弱いので積極的に動けない)

そしてやっとこさライバルも死に絶えても、まだ天下も取れずにいましたが、秀吉の愛人である淀君に秋波を送って口説こうとしたけど(暗冲の仕業)プライドの高い淀君に相手にされず、今度は秀吉の嫁の寧々さんに言い寄ったみたいです。
寧々さんにしたら、茶々が自分を京都の高台寺においやって、大阪城で調子コイてるのを見ては、日頃からムカついてたので、家康の味方となったのはその後の歴史が証明しています。

その理由として関ヶ原の最初の布陣では明らかに西軍有利でしたが、寧々さん(北政所)の身内の武将達が挙って西軍から東軍に寝返ってます。まあ、寧々さんに「西軍を裏切れ」って言われてたのでしょう。
小早川秀秋はその後発狂して死んでます。

そして徳川の天下になりましたが西軍を倒した真の貢献者である寧々さんは京都東山のあの広大な高台寺(←ここ笑うところやで)で余生を安穏と暮らしていました。
普通だったら豊臣家所縁の者は全員処刑するのが当時の常識だったにも拘らずです。

大阪城落城時の作戦も、実はお城のお披露の時に酔っ払った秀吉から聞き出した作戦だったと言われています。頭の悪い家康にあの大坂城を落とす知恵はありませんから。(頭があったらもっと早くに天下を取っています)

それに家康って己土濁壬で根性も腐ってます。😫

そんな家康がやっと天下を取っても数年で亡くなってるのも、官星が空亡してるからです。

何が言いたいかと言えば家康の命式で天下を取れるはずもないのです。取ったとしてもすぐにまた天下を奪われるか、自分が死ぬかです。最後は息子に天下を譲ってました。

僕の大胆な予想では、真田幸村の一撃で命を落としてると思ってます。
堺市の小さなお寺に家康の墓があって、二代将軍と三代将軍がコッソリとお参りに来てた記録もあるそうです。



戦国武将の徳川家康はこの程度ですが、信長は類象レベルの貴命だったでしょうけど、破格になれば一瞬にして自害するか没落します。






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