大瀧詠一プロデュース 「ナイアガラ音頭 EP」ひとこと解説 その1
ナイアガラ音頭 (Single Version)
はっぴいえんどのアルバム2作目「風街ろまん」(1971年)で、大滝詠一さんがボーカルを務める「颱風」には印象的なフレーズがありました。
「♪ どどどど どっどー」
「♪ どどどど どっどー」
(↑ クリックorタップしてご覧ください)(頭出し済)
翌年、'72年8月にビクターからリリースされた布谷文夫のソロシングル1枚目は、「からのベッドのブルース / 台風」でした。
この「台風」では、大滝さんが歌ったフレーズの
「♪ どどどど どっどー」
とはパターンを変えた…
「♪ どどっど どっど」
というフレーズもまた曲中で混在して聞こえてきます。
(↑ クリックorタップしてご覧ください)(頭出し済)
布谷文夫のソロシングル2枚目は、'73年11月にポリドールから出た「台風13号 / 冷たい女」でした。
このときの「台風13号」は、同時期に発売されたアルバム「悲しき夏バテ」に収録の「颱風13号」とは異なる“シングルバージョン”でした。
「♪ どどっど どっど」
というフレーズは、ここで完成されています。
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(音源はアルバムバージョンで代用、頭出し済)
※ 今回の「ナイアガラ音頭EP」のリリースに合わせたかのように、希少な「台風13号/冷たい女」のアナログ7インチ盤が2024年8月3日に再発売されます。
偶然か必然か、この「♪ どどっど どっど」というリズム・パターンをフィーチャーしたのが、布谷文夫の3枚目のシングル「ナイアガラ音頭」でした。
布谷文夫withナイアガラ社中 「ナイアガラ音頭」
アルバム「NIAGARA TRIANGLE Vol.1」(1976年3月)の収録曲の中でもとりわけ好評だった「ナイアガラ音頭」は、シングルカットされることになったのですね。
「ナイアガラ音頭」のシングルは'76年6月に日本コロムビアから出ました。
レコードジャケットでの着物のいでたちや背景の金屏風は、大滝さんの発案によるものだそうです。
シングル化にあたっては、前奏を短縮し、ボーカルを差し替えた他、新たに「♪ オンド オンド」というかけ声が足され、坂本龍一のクラビネットもダビングされています。
関係者によれば、これらは「ナイアガラ音頭」を売るための戦略的改変だったのですね。
単なる邦楽の「音頭」ではなく、新分野の「ONDO」として売り出そうという策に則って…。
その頃はといえば、『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977年)によるディスコブーム再燃の“前夜”でしたが、'70年代のサウンドの流行を取り入れてクラビネットを足したのだと思われます。
クラビネットの名器 Clavinet D6
当時、クラビネットが印象的だった曲としては、スティーヴィー・ワンダーの「迷信(Superstition)」(1972年)や、「ハイアー・グラウンド(Higher Ground)」(1973年)などが挙げられるでしょう。
(↓ 以下をクリックorタップしてご覧ください)
●Stevie Wonder 「 Superstition 」
●Stevie Wonder 「 Higher Ground 」
「ナイアガラ音頭」のプロモーション盤として、ディスコ・グループのチャカ・カーンとのカップリング盤レコードも作られました。
Rufus & Chaka Khan 「 Dance With Me 」
やはり、この曲でもクラビネットがバリバリに聞こえますね。
さて。
前述のように、布谷文夫の「♪ どどっど どっど」のノリが「ナイアガラ音頭」のリズム・パターンに影響を与えているかもしれない…、と私は思うのです。
はたして大滝さんは、それを意識していたのか、無意識の結果そうなったのか、それとも偶然の一致だったのか…。
「ナイアガラ音頭」が発売された'76年にラジオ番組『ゴー・ゴー・ナイアガラ』で大滝さんが語ったところによれば、三橋美智也の歌う「福生よいとこ」が「ナイアガラ音頭」へ影響を与えているとのことでした。
大滝さんは三橋美智也が大好きで、大滝さんのこぶし回しは三橋美智也のそれを受け継いでいますよね。
では、大滝さんの“地元”である福生にちなんだ歌で、'72年にレコードとして発売された「福生よいとこ」を、聴いてみましょう。
三橋美智也 「福生よいとこ」
「♪ どどっど どっど」タイプのリズムですね。
「福生よいとこ」の作・編曲を手掛けた山口俊郎は、'50年代に三橋美智也が「相馬盆唄」をカバーした際に、この「♪ どどっど どっど」というリズムを用いて編曲したことがありました。
三橋美智也 「相馬盆歌」
少し説明を加えますと、「相馬盆唄」は江戸時代から歌い継がれてきた相馬盆踊りの唄を民謡歌手の鈴木正夫(鈴木秀桃)が'50年代に歌って全国的にヒットしました。
'55年末の第6回NHK紅白歌合戦(当時はラジオ)にも、鈴木正夫は「相馬盆唄」で出演しています。
鈴木バージョンの「相馬盆唄」は「♪ どどっど どっど」のリズムではなく純然たる民謡スタイルでした。
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「ナイアガラ音頭」へ至るストーリーを追想してみましょう。
'73年に福生に居を構えた大滝さんが、'72年に発売され地元でプッシュされていた「福生よいとこ」を盆踊り会場などで耳にして、「♪ どどっど どっど」というリズムが大滝さんの記憶に刻まれたのかもしれない…。
福生市には「福生音頭」(作曲:万城目正)や「福生七夕音頭」など、別のローカル音頭も存在します。
もし、「福生よいとこ」の歌唱が大滝さんの大好きな三橋美智也でなかったら、「♪ どどっど どっど」というリズムも大滝さんの印象に残らなかったかもしれない…。
時を同じくして'72年と'73年に、布谷文夫が運命なのか偶然なのか「♪ どどっど どっど」というフレーズを歌っていた…。
それらのファクターに導かれるように、'75年2月には引退して川越でサラリーマン生活を送っていた布谷文夫が「ナイアガラ音頭」を歌うことになり、'76年に世に出て…。
時代の要請で「ナイアガラ音頭」のシングル盤では、なぜかクラビネットでディスコティックな装いになり…。
それがまた「♪ どどっど どっど」というリズムに絶妙にマッチして…。

そうしたドラマを経て、いまあなたがお聴きになっているのが、、、2024年の「ナイアガラ音頭EP」なのです!!









