話は変わって、わたしは瞑想をするのですが、世の中には瞑想中にメッセージが降りてくる人もいるようなのです。
わたしもやってみたら何かメッセージがもらえるのかな? と思い、やってみました。
わたしは声として何かメッセージが降りてくるというのがあまりないです。あっても、ワッ!!!と大きな声が耳にこだまするような現象だったりで、何か意味のあるメッセージを受け取ったことは、たぶんないんじゃないかな。……うん、ちょっと思い出せません。
代わりにわたしは文字情報として「見える」
ことがあります。今回瞑想の最中にメッセージを受け取ろうとしたやりかたは、そうした「見る」方向性によってでした。
やりかたは、「メッセージをください」と思うような思わないような、そんな意思の状態になります。「します」ではなく「なります」と言ったのは、それが行為ではなく変身に近いと思っているからです。その状態は心の中をひとつの空間のようにイメージして、その空間がメッセージが寄ってきやすい雰囲気になる──そんな感じです。
以上のような「説明」はこれを書いている今そう思っているからそう説明しているものなので、あくまでも「そんな感じ」と言うことにします。
で、
わたしが瞑想中に見たヴィジョンは、1冊の本でした。その本を開いて、文字が見えます。いや、見えるのですが、読めません。読めるまで待ちます。ぼやけて理解できない異国の言葉のようなもの。だんだんと読めてくる。そして読めたのが次の文字でした。
「我なくして我不欲事もなし」
やや漢文じみた文でしたが、そう読めました。
パッと目に入ってきた印象では、自分というものなくして自分が何ごとかを望まなくなることもない。──そんなメッセージのように読めました。
おりしも、エゴについて考えていたこの頃ですので、「自我なくして自我を脱することもできない」といった理解もチラつきます。
トピックとしては何度か反芻したいメッセージなので、また取りあげることもあるかもしれません。