天道信仰の霊地

 

所在地:天童法師塔…対馬市厳原町豆酘  天童法師祠…長崎県対馬市厳原町浅藻

 

対馬の天童(天道)信仰は一種の太陽信仰で、天照大神の原型になるような対馬独自の祭祀から発生したものである。天道法師という超人伝説に姿を変えて中世以降伝わっているが、もとは弥生時代からの自然信仰がベースにある。原始天童信仰は、縄文時代よりも新しい時代の信仰である。

 

天道信仰について、その始原の祭祀を知ろうと試み、私たちはこれまで何度も対馬に足を運んだが、ここに私たちの得た一連のデータをまとめておくことにする。(一部は過去記事で言及している)
 

現在、天童信仰の中心地は南部の多久頭魂神社と北部の天神多久頭魂神社だが、どちらもご神体は天道山と呼ばれる山だ。
 

南部には天道山(龍良山)を中心にして、北側の麓に天道法師祠(裏八丁角)、南側の麓に天道法師塔(表八丁角)が建っている。

 

どちらも聖地であり、特に南の表八丁角という場所は、「恐ろし所」といって、近寄ると祟りがあると言われ、地元の年配の人は今でも近寄るのをいやがる。このような情報は、地元の人と話したり、対馬に住む人からメールで教えてもらった情報も踏まえている。
 

 


【写真】対馬天道信仰(裏八丁角)の拝殿

 

 
【写真】天道信仰(裏八丁角)の拝殿から放射された光

 

古びて、何の変哲もない場所のように見えるが、霊的には強烈な波動が土地全体から出ている。蓮鬼が撮影した写真には、正体不明の放射状の光が出ていた。


私たちは対馬南部の天道山(龍良山)の南の麓にある天童法師塔(おそろし所)に行こうと何度か挑戦したのだが、時期やタイミングがなかなか合わず、結局対馬に行くようになって4年目にようやくチャンスが巡ってきた。

 

霊地巡礼の旅では、強行突破をしない方がよい。段取りが悪く道を迷ったり、邪魔が入るときには、まだそこへ行く「お許し」を頂いていないと解釈して、無理に押し入ろうとしないのである。


なぜ祟りがあるのか。それは一種のカモフラージュであろう。ここから先の話は、蓮鬼によるサイコメトリー情報によるもので、考古学や民俗学、歴史学の範囲を超える話であることをお断りしておきたい。

 

「重要な秘儀を行う、宗教的、祭祀的なスポットには一般人を近寄らせないようにする必要があるわけで、恐いところだという噂を広め、立ち入り禁止区域にしておく必要がある。みだりに近寄るなと言うタブーを作るのは、そこが祭祀にとってきわめて神聖な意味を持った場所と見なされていたためであろう。」

 


 
【写真】対馬天道信仰(表八丁角)の天童法師塔。原生林の中に塔はひっそりと建っていた。

 

 

杜の精霊たちの声が聞こえてきそうな場所である。地元では、ここを「恐ろし所」と呼んで神聖視している。

 

また、蓮鬼には次のようなメッセージも現地で入ってきた。

 

「弥生時代の対馬の信仰は、浦々に海の神、日の神を祀る祭祀場があり、儀礼を共同体のリーダーでもある神官が執り行っていた。共同体の中で神に選ばれた人が神官を務めるわけだが、そのためには特別な才能や能力をもった子供が生まれてくる必要がある。その子供は神の使い、言い換えると神と人をつなぐ存在、その後の<眷属>の概念と同義だった。天童は神童であり、天の神、日の神の息子である必要があった。」

 

以上のサイコメトリー情報から推察すると、日の子供とは、「日子」=「ヒコ」となる。実際、「魏志倭人伝」には対馬の首長の名前が【卑狗】「ヒコ」であったと伝えている。

 

さらに、「ヒコ」を産むための儀礼に関する情報も蓮鬼の口から出てきた。

 

「世継ぎとなるヒコを産むための特別な儀式があった。引き潮の渚で、朝日の昇る時刻に、男性の神官と女性の巫女が交わりを持った。その巫女も共同体の中から特別に選抜されて育てられた女性であり、神を感じやすい女性であり、処女だった。
交わる場所、時刻は引き潮の渚、つまり潮が満ちたときには海になる遠浅の場所で、日の神の魂が入るためには、朝日が昇る時刻を選ぶ必要があった。」

 

天道法師縁起には処女懐胎の物語が展開されている。天道法師の母は太陽の光に感精して、法師を身ごもったと伝えられている。しかし、実際はそこに男女の性愛的儀礼があったというのが、サイコメトリーから導かれる仮説である。しかし、この性愛儀礼には現代人の感覚から見ると、凄惨な結末を迎えることがあったという。

 

「男女交合の後、巫女は龍良山の北側の祭祀場まで連れて行かれ、そこで妊娠したかどうかを確かめられた。もし、妊娠していなければ、巫女はその場で殺された。妊娠がわかったときは、臨月までその場に籠もり、神職以外の人間との接触はいっさい断たれた。
臨月になり、陣痛が始まる頃に、急いで龍良山を担いで登り、今度は南側に降りて塔のある場所に臨時の産屋を作り、出産させた。生まれた子供が男子ならば、天童である可能性があるとされ、子供は「神の子」として丁重に育てられたが、ある程度の年齢が来ると本当に「日の子ども」なのかどうかの吟味が行われた。もし、子どもに特別な才能がないとわかったとすると、この子は神の子ではないと判断されて、生け贄として海の神に捧げられた。」

 

「ヒコになった人は、先代のヒコが亡くなったときには、その力を受け継ぐ儀式として、彼の肉を食べる食人の儀礼も行われていた。」

 

こうした儀礼が行われていたのが、原始天童信仰であり、これは朝鮮半島から入ってきた知識に基づくものだったようである。優生学的発想もあるようで、特別な能力(霊能力にかぎらず優れた才能の持ち主)をもった者だけが神に仕える人物としてふさわしいと考えられ、共同体の代表として、念入りに選抜された。
 

現代人の感覚からは残酷としか言いようのない儀礼には、何か特別な意味が込められていたのかもしれない。民俗学の研究によれば、生け贄とは産まれたときから初なままで養育され、何の罪穢れも知らない無垢な状態の人間、動物を希少価値のあるモノとして神に捧げることを意味する。人間も神なる自然から産み出されてくるモノであり、その神の怒りを鎮めるため、あるいは加護を得るために、もっとも貴重なモノ=人間を捧げたのであろう。
 

犠牲にされた人間の魂は神なる自然に還っていき、それがまた巡り巡って共同体に恵みを与える。共同体全体の運命を左右しかねない重大な事態に陥ったとき、その局面を打開するために一番大切なモノを捧げること、すなわち人の命を捧げることを古代人は思いついたのかもしれない。モノが乏しかった頃の話、個人主義という思想が確立するずっと以前の話である。
 

以上が弥生時代に行われていた「ヒコ世襲の儀礼」に関する情報である。天童法師塔は、昔から卒土(ソト)と呼ばれているのだが、これは朝鮮にあった蘇塗(ソト)と同じ意味を持っているのではないか。

 

とすれば、朝鮮半島からもたらされた呪術的知識が、原始天道信仰の中にあってもおかしくはないだろう。
 

このように、天童法師塔に赴くたびに、次々に新しいメッセージが蓮鬼に入ってくるようになったわけであるが、次に示すのは、この塔が建っている土地の特別な意味に関する情報であった。

 

要点をまとめておくことにしよう。

 

1.ここは自然のエネルギーの集中する場所であり、霊能力を身につけるための儀礼の行われた聖地だった。塔は以前は何カ所もあり、シャーマンたちが塔の周りをグルグル回りながら「天のエネルギー」を得る儀礼を執り行っていた。現存している塔も以前は、今よりずっと高かったものが崩れて今のような状態になっている。
 ただ、ここで霊能力開発の修行をしたシャーマンには極端な効果が現れ、ブラック系とホワイト系のいずれかになってしまうため、この場所が持つ特殊な効果を隠すために、祟りのある「恐ろし所」であると吹聴したのであろう。
 

2.この地は生命エネルギーを増幅する意味を持った場所でもあった。地元の人々は、子どもが生まれると天の神に感謝して、この塔に生まれたばかりの赤ん坊を横たえて、健康に育つように祈りを捧げた。子どもが15歳になったときに、もう一度通過儀礼をこの塔の前で行うしきたりがあったはずである。
 

3.天童法師の塔がある表八丁角は、葬地でもあった。死期の迫っている者や死者は現在、塔の建っている場所のあたりに横たえられた。やがて、死体は鳥や獣、ウジ虫、バクテリアに食い荒らされ白骨化していった。死者の身体は山の神に捧げられ、その魂は祖霊化して氏神になっていった。山の神の使いとは、龍良山に生息している鳥獣、昆虫の一切である。

 

確かに、墓地、葬地とは古代の霊魂観では決して穢れの場ではなく、むしろ神聖な場(祭場)だった。死骸が朽ち果て、その合間から草木が生え、やがて神の住まう杜になる。祠が死者の葬られた杜に、やがて建つようになった。

 

八丁角が「おとろし所」(恐ろしい祟りのある所)と畏れられたのは、そこが氏神化した死者の魂が住まう聖地であり、人間の生死に関わる重要な儀礼の行われた場所だったためではないだろうか。
 

以上をまとめると、天童信仰は中世以降、天童法師という山林修行者の英雄伝説によって色づけされているが、その本質は遙かな昔から続いてきた太陽信仰にあるのだろう。

 

対馬では太陽崇拝も古くから行われてきた。天照大神という概念が大和で成立するずっと以前から、対馬の日子<ヒコ>は太陽の子供として崇拝の対象だったのだ。逆に、こうした信仰が発達して天照大神の神格となったと見ることもできる。


最後に、現地で蓮鬼に発生したアクシデントについて述べておこう。私たちが初めて、「おそろし所」に到達することのできた日の話である。


天道山揺拝所のある場所から先は、小道しかなく、やがて道さえも分からなくなる。道なき道を進むことになり、目的地の塔が分からなくて、もう引き返そうかと思っていたときに、原生林の中に鳥居を発見した。急ぎ足で山を登って確認すると、確かに塔が建っていた。私たちはついに天道法師塔に到着することができたのである。
 

塔の前で、一時休止して、それから参拝しようと思っていたのだが、そこで蓮鬼に異変が生じ、大変な状況に陥ってしまった。

 

「塔の前に、髪の毛の長い女性の霊がこれ以上前に進むな、と立ちはだかっている。朝鮮半島系の装束をしたシャーマンのようないでたちの女性が塔の前に立っている。」
 

その女性と霊的な交信してみると蓮鬼が言った後、急に彼女はあろうことか塔によじ登り始めたのである。


蓮鬼は、スタスタと塔の石垣をよじ登り、てっぺん近くの祠の前に立ったかと思うと、両手を大きく広げて上にあげ、クルリと180度回れ右をしたかと思うと、すでに目つきと顔つきが変わっていた。「完全に憑依されているな」と私は悟った。塔の石垣はグラグラしているので、それだけでも危険なのに、両手を上げたまま直立して、神懸かりになってしまっている。

 

「我はこの地を守る者なり。この地を汚す者は、何人たりとも許さぬ。ここをどこだと心得るか。お前たちは、一体ここに何しに来た!」

 

蓮鬼は、白目をむき、ものすごい形相で叫び声を上げた。完全に憑依状態になっていため、このまま放置すると事故の危険も出てくる。まずは残りのメンバーが塔に上って蓮鬼の身体を押さえ込んだ。

 

私はとっさに憑依解除の呪文を唱えながら、その場で「祓い」を行った。早く、憑依しているものを外に出してしまわないと、彼女の身体がもたないととっさに判断してのことである。


蓮鬼は大声を上げた後、急に意識を失って倒れそうになった。急いで、彼女の身体を支えながら、塔から降ろした。しばらくして、意識を取り戻した様子だったので、いったいその間何が起こったのか訊いてみることにした。


彼女が塔の前に座っていたとき、急に身体が空中に持ち上げられる感覚が来て、自分の意識が天の方に引き上げられてしまい、ものすごい力で引っ張られていったそうだ。もちろん、その間に自分が何を言ったのか全く覚えていない。あのような強い霊的な力に感応したのは生まれて初めてだという。
 

このように、霊地サイコメトリーには、想定外の出来事が発生することがある。霊媒体質者が、強いスピリチュアルな意識場に接触するとき、激烈なスピリチュアル・エマージェンシーに陥ることがある。我を保つことができなくなり、自分とは違う何者かに身体を支配されたり、意識を失い、身体機能が弱またりして最悪の場合仮死状態に陥るようなこともある。

 

そのような状態になったときに、祓いを執り行い正気を取り戻せるように臨時の儀礼を行うことも珍しくはないのである。

 

読者の方には、この場所に行くには大きな危険が伴うことをお伝えしておきたい。物理的にも到達するのが難しい原生林の中に天童法師塔は建っているし、霊的には「よそ者の侵入を拒む意識場」が形成されている。

 

下手に踏み込んで、命取りになりかねないアクシデントに見舞われる危険がついて回る。興味本位での訪問は避けた方がいいだろう。「恐ろし所」は本当に恐ろしい事の起こるところなのである。

 

龍翠
 

対馬関係の参考文献
永留久恵1982対馬の歴史探訪 杉屋書店

永留久恵1994対馬歴史観光 杉屋書店

永留久恵2001海童と天童-対馬から見た日本の神々 大和書房
 

 

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