
視界の限界はどこまでなのだろうか?
見えているものの大きさや距離感が狂ってしまいそうな錯覚の中で、
出来る事と言ったら呆然と景色の中に佇み、それをただ眺めるだけだ。
高低差700mの崖の上から、遥か彼方の地平線は砂煙でかすんで見える。
遠くのものが遠すぎるせいか、現実とは思えない空間の歪みを感じる。
「宇宙人が作った。」とも言われていた『ドゴンカントリー』は、
僕がアフリカに入ってから、今までで最大の感動を与えてくれた。
マリで最も訪れたかったドゴンカントリーを2泊3日のツアーでまわった。
バンディアガラのホテルでツアーコーディネーターに声をかけられ、
ガイドブックにも載っている信頼出来る会社(AGAT)だったので、
内容と値段を聞くと、やはりぼったくる事もなく安心の内容であった。
『モプティ』ではうさん臭く、ボッタクリ価格の輩が横行しており、
誰も信用出来る感じではなかったので、全て無視していた。
ガイドはドゴン出身のアブライと言う気のいい青年で、
英語も堪能な事もあり、色々と話をしながら契約を交わし、
バンディアガラに着いたすぐ翌朝に出発する事にした。
最初の村 [Djigouibombo ディギボンボ]
ドゴンの南西の崖の上

三角屋根の小屋はミレットの保存に使われています。

ドゴン式の階段。かなり危険で落ちる旅行者も多いそうです。

ミレット

ドゴン土産に左下のポーチを購入しました。

所々に供物があり、アニミズムを感じます。

小学校の授業を見学させてもらいました。
バンディアガラ崖に沿って150kmにも及びドゴン族が住み着く。
ドゴン族の祖先はバンバラ族であるが、アニミスト(精霊土着信仰と
でも言うのだろうか)であった為に、11世紀辺りに勢力を伸ばしていた
ムスリムを嫌い南方からここに移り住んだらしい。
さらに先住民だったテレン族と言うピグミー(体が極端に小さい
民族)はドゴン族に追いやられる形で、コンゴや旧ザイールなどの
中央アフリカに移り住む事になった。
崖下の村 [Kani-kombole カニコンボレ]

崖を下って行きます。

テレン族が住んでいた小さな家が集まって、崖の中腹に集落を作ってます。

週に一度のマーケットが開かれておりました。
物々交換は当たり前です。
現在はアニミストの他にムスリムやクリスチャンも存在し共存している。
独特な文化は他に類を見ないものが多く、特に崖下まで降りて生活を
はじめる20世紀初頭までに形成した、崖にへばりつく集落は奇妙であり、
その姿は不思議な物語の中の一コマの様に映る。
初日の宿泊地 [Teli テリ]
崖下の集落で規模が大きい。ココのテラスからの眺めは絶景です。






岩山にいる鹿は画になります。
いくつかの村をゆっくりと見て回り、昼は暑いので3時間程休憩し、
日が少し傾いた所でまた出発し、日が暮れる前に宿泊する村に到着する。
日が暮れ始めると、茶色だった岩山が赤く染まり出し、
遠くの景色は紫色に刻一刻と変化する。

凄まじいバランスで立っている岩山は奇妙です。
太陽が地平線に沈んだ後に現れる夕焼けの雲は、
荒ぶる太陽の姿を模したかの様に激しく燃えていた。
キャンピングサイトのテラスにマットを敷くだけの宿泊所は、
夜になると寒さすら感じる程だが、そこから眺める星空からは、
新月であったせいもあり、想像を絶する光が降り注ぐ。
ひときわ強く光るシリウスが象徴的に見え、じっと夜空を眺めていると、
いくつもの流れ星がランダムに光っては落ちて、またその数を数える。
再び崖を登る。[Begnimato ベニマト]

この崖の間をぐんぐん登って行きます。

突然現れる崖の上の集落「ベニマト」



祭事の際に使用するドゴンのマスク。

生け贄として捧げられた猿のスカル。

ドゴンではタマネギ栽培が盛んで、主食のミレットとの二毛作が主流です。

朝からミレットを突く女性達。何か歌いながら打っています。


乾期の間は川をせき止て簡易の貯水ダムを造ります。


これほどの感動や驚きは中々味わえるものではない。
決して訪れるのが容易な場所ではなく、
またその分感じるものを大きいのだろう。
しかし、そんな事もさておき、本当にこの場所を訪れて良かった。
心から本当にそう思う。
ツアーが終わり、またすぐ翌日には次の目的地に自転車で走る。
ガイドのアブライはいい奴で、僕の出発前に
お土産にドゴンの民族衣装をもって待っていてくれた。
ドゴンの思い出に持っていて欲しいとの事だった。
まだまだドゴンカントリーには見所があり、
次はロングツアーで北部の僻地にも脚を運びたいと思う。
数年後になるか十数年後になるのか、必ずまたここを訪れるだろう。
そんな事を思いながら、アブライに再会を約束し、
また次の目的地へと向かったのだった。
