こんばんわ、蓮です。


俺は昔から人を信用出来ない人間でした。


俺はガキの頃、ボロボロの市営住宅で母親と弟の3人で住んでいました。


俺を19歳で産んだ母親は、母子家庭だった俺らを水商売をしながら食わせてくれました。


毎日夜に仕事に行く母親を当時小1だった俺と3つ下の弟で見送って、そのあとは2人してリビングでテレビや録画して何度も観たバカ殿のビデオをまた観たりと、なるべく寂しくならないように過ごしていました。


でも、まだ小1。
18:00くらいに仕事に行った母親の帰りを待つ時間がとてつもなく長く感じて、22:00頃には何度も携帯に電話しては、「ママ、まだ帰らない?」と聞いていました。


「ごめんね、もうちょっとでお仕事終わるからお利口さんして待っててね」


いつも電話するたび母親からはそう言われました。


早くても深夜2:00〜3:00、遅い日だと朝の7:00くらいに帰ってくることもありました。


だから俺はガキの頃から夜型人間なんです。
多分やっと寝られても1:00とかだと思います。


「もうちょっとで仕事終わるからね」


この言葉を何も疑わず信じていたから。


当然小1の子供が母親にそんなこと言われたら、「昨日は遅かったけど今日は早く帰って来れるんだ」って思いますよね。


でも毎日毎日待てど暮らせど帰ってくる気配がなかったから、俺は寂しくて何回も電話をかけてました。


多分その頃からだと思います、人を信用出来なくなったのは。


俺が小5になるまでそんな生活が続き、その日も朝方に帰ってきた母親。


その日は土曜日で、その休みの日の朝ふと目を覚ますと、いつも通り母親が寝室で寝ていて、リビングの上には置き手紙が置いてありました。


「蓮くん、○○ちゃん(弟の名前)、いつもいつもお仕事で帰りが遅くなってごめんね。もっといっぱい遊んであげたかった。だからね、ママ、今のお仕事やめることにした。これからは3人でたくさん色んなところに行こうね♡ ママより」


泣き崩れました。
やっと…やっとこの寂しさから解放されるんだ…。
ママは僕たちのところにずっといてくれるんだ…。


今でもその手紙の内容とそう思ったのを鮮明に覚えています。


でも星の元なんでしょうね。
俺は母親が夜の仕事をやめて昼の仕事に変えたあとすぐ、学校で虐められるようになりました。


友達はいた方だったけど、当時の俺は気の弱い子供でどちらかと言うと今で言う陰キャ軍団の部類にいました。


きっかけは、ある日同級生が悪ふざけで俺を肩パンしたこと。


その時俺はヘラヘラしながら「痛いからやめてよ〜」なんて言ってました。


それが引き金となってやんちゃな奴らに目をつけられ、朝学校に行くと学校の玄関で俺を待っているやんちゃグループの1人がいきなり俺に腹パンを食らわせ、呼吸が出来なくて倒れ込む俺の髪を引っ張り、顔面に膝蹴り、そして頭を踏みつけられるというフルコンボでの虐めを受ける毎日になりました。


昼休みにもそれは続き、給食を食べたあと体育館裏の誰も来ない場所に連れて行かれまたボコボコにされ、食べた給食を吐いたりもしてました。


だからせめて昼はやられないようにと、1番遅く給食を食べていましたが、担任に「早く食べなさい」と言われこの作戦も長くは続きませんでした。


そして帰りはその虐めてくる奴の目を盗んで帰れる日もあれば、待ち伏せされてうちまで来いと言われ、そいつの家で気が済むまでやられ続けました。


でも俺は母親がこれから一緒にいてくれるという安心感があったのと、恥ずかしかったのか虐めのことは母親には話しませんでした。というか話せませんでした。
だから体に出来た傷はバレないように隠し通しました。


それが1年間、小5から小6になるまで続き、ついに俺の体と心にも限界が訪れ、ある休みの日曜日に、朝から出かけていた母親に電話をかけ、「俺、明日から学校行きたくない」と話しました。


「どうしたの?なんかあったの?」と聞いてくる母親のその声で何故か安堵した俺は泣きながら、「ずっと前から虐められてる。毎日殴られて蹴られて、なんでこんな学校に行かなきゃなんないの?俺なんにも悪いことなんてしてないのに。俺もう明日から学校なんて行きたくない」


そう言うと母親は、「そうだったんだね…でも大丈夫、次なんかあったらママが助けてあげる。蓮はママが産んだ強い子なんだよ。だから、もし次に何かされたらママに言ってね」


そう言われました。


正直、安心感が半端なかったです。


(俺にはママがいるんだ!助けてくれる!もっと早く言えば良かった…)


そう思いながら次の日の学校のことを考え、行くことを決めてその日は寝ました。


そしてその日の学校。
いつも通り待ち伏せされている玄関に着いた俺は、昨日の母親の言葉を強く信じていたからか、今までより少し恐怖もなくなっていて、普通に上履きに履き替えました。


するといつも通りそいつがやってきて、「おう」と言いながら俺に腹蹴りを食らわせました。
でも俺には母親がついてる、大丈夫、と思っていたため、初めてそいつに向かって呼吸が苦しい中、「今までのこと、昨日全部うちのお母さんに話したから。次俺になんかあったら助けるって言ってた。だからもうやめた方がいい」


これでやっと地獄の小学校生活も終わると思った矢先、「へぇ、だからどうした?お前の母さんがどうやって助けんの?お前母さんに言ったからってナメてんな」


そう言いながら玄関で今までで1番ボコボコにされました。


たまたま通りかかった先生に止められ俺は保健室に運ばれ、何があったのかを保健室の先生に聞かれたので虐められていることを話しました。


保健室の先生は担任に伝えとくと言ってくれました。


その日は目撃もされて結構大事になったためか、昼休みも帰りもそいつから虐められることはありませんでした。


そして家に帰り、今日のことを母親に話しました。


(これで助かる…やっと…よかった…)


すると母親は、「ママ、昨日も言ったけど、蓮は強い子なんだよ。虐められたらやり返さなきゃ。そうじゃないとずっとやられっぱなしになるんだよ?次やられたらやり返してやりなさい!」


耳を疑いました。


(え…?助けてくれるって言ったじゃん…なんで…?なんで助けてくれないの…?俺がやり返す…?)


俺は昨日までの安堵が切れたのか、気が付いたら、「ママの嘘つき!!!助けてくれるって言ったじゃん!!!だから俺今日も頑張って学校行ったのに!!!今日なんて玄関でボコボコにされて保健室にまで連れていかれて、泣きながら保健室の先生に虐められてること言ったんだよ!!結局なんもしてくれないじゃん嘘つき!!!!」


大粒の涙を流して言いました。


そこから俺は大人に対して信用が出来なくなり、ヤケクソになりました。
俺が傷付いても誰も助けてくれないなら、今度は俺が人を傷付けてやる。


次の日の学校からそいつにすり寄って仲良くなり、そのタイミングで転校してきた奴をターゲットにし、一緒になって虐めるようになりました。


今までの鬱憤を晴らすかのように、俺を虐めてた奴よりもっと過激な虐めをしました。


工場で拾った金属の棒をライターで加熱してそいつの背中に焼印と称してあてたり、そいつの家の玄関ポストからロケット花火を何発も発射したり、そいつの持っていた財布から金を盗んだり。


これ以外にも色々犯罪として捕まるようなことを小6から中3までやりました。


そう、グレたんです、俺。


大人を信用出来なくなり、そして人を信用出来なくなり、自分の身は自分でしか守れないという教訓をガキの頃に植え付けられ、最終的には当初俺を虐めてた奴までも俺の傘下につけていわゆる不良グループとして毎日色んなことをしていました。


小6からタバコを吸い始め、万引きは日常茶飯事、最初は虐めてた奴から奪い取ってた金も、やがて同い年からおっさんくらいの年齢の奴らまでからカツアゲをするようになり、新聞配達で乗っているカブ(バイク)を窃盗し散々走り回ったあと林に投げ捨てたり、夜からは暴走族に入っていた先輩の家に遊びに行って色んな悪いことを教えてもらったりと、散々なことをしました。


人なんて信用出来ない、だったら俺のために利用する。


この考え、今でも全く変わってないんですよね。


いじめられっ子がやんちゃになるという、よくある話。


でも、虐められる側の気持ちも分かるし虐める側の気持ちも分かる。


どっちも経験したことのある俺だから、尚更よく分かるんです。


めちゃくちゃ長くなりましたが、そんなやんちゃな生活をかれこれ22歳くらいまでやってました。


俺は19歳の頃、犯罪の抜け道を知るためにあえて法律を独学で勉強していました。


歳を取ればやんちゃと言えどやることも変わります。


その頃は主に恐喝、脅迫、詐欺など、どれも普通に犯罪なんですが、口が上手かった俺は相手に被害届を出させない方法でうまくやっていました。


えっと、これ全然自慢ではないのと犯罪推奨するために書いてる訳ではありませんのであしからず。
全て俺の実体験を正直に書いています。


まぁそんなこんなで22歳の頃、初めて同棲した彼女が出来てそういうことからは足を洗いました。


同棲が初めてなのもあったし、本当に相性が良くて、一緒にいても全然苦にならなくて、毎日本当に楽しい充実した日を過ごしていました。
そして心からその人のことを信頼していました。


でも当時、なんのSNSかは忘れましたがそれ伝いに元カレと連絡を取っていることが判明しました。


俺は問い詰めました。

「なんで元カレと連絡なんて取ってんの?」

「いや、急に連絡が来たから返しただけだよ」

「返すこと自体間違ってんじゃないの?」

「別に隠すことでもやましいことでもないよ」

「それなら最初から自分の口でそう言えば良かったよね?」

「…ごめん」


4年同棲して、人を信用出来ない俺がここまで心を許した相手の些細な言動。


それから俺から別れを告げ、やっぱり人は信用しちゃいけないんだと改めて思いました。


思ったんですが、やっぱり俺もバカなんでしょうね。


そのあともこの人ならと思って付き合った女性にことごとく浮気や嘘をつかれまくり、それはやがて自分の見る目すら信用しちゃいけないと思うようになりました。


そして今。
俺は3年前に双極性障害になり、その病気を家族、親戚、友人全てから理解されず、昔のように心のどこかにある「この人なら大丈夫」という気持ちが消え去りました。


仕事もろくに出来なくなって、休職期間は1年半、その間は傷病手当を貰い生活をし、満期を迎えたことで職場復帰するため専務とマネージャーとの面談に行くも、もう俺の席はないと言われ退職。


休職し始めてからの半年間は病気の症状が非常に強く、その間に1度自殺を図っています。


長く付き合いのあった友人に最期にと思いLINEで、「楽しかった、ありがとう」と送ったのがまずかったらしく、うちに駆けつけて薬で完全にラリって今にも意識を失いそうな俺を止めに来て救急車で運ばれ、ICUに入り丸2日間意識が戻らない中、何とか生存してしまいました。


ちょっと話は逸れますが、Twitterなどで「希死念慮が〜」とか言ってる人、それファッションメンヘラ、分かりやすく言うと構ってちゃんなんでやめた方がいいですよ。


俺の場合は自殺願望があったためそういう行動を取り本当に死のうとしましたが、本当に死のうと思った人間はそんなこと言いません。
俺はその時なんにも考えてないのにずっと涙が溢れだし、まだ意識のある内に愛犬を抱き抱えながらずっと「ごめんな、ごめんな」と謝ってました。
本当に死のうと決意した人間は恐怖やその他の感情なんて何も湧きません。
ただただ無感情、思考も完全に停止します。


「希死念慮」と「自殺願望」はそもそも意味合いが違うので自分かもと思う人がいたら調べてみてください。
大体そういうこと言ってる人は「希死念慮」に分類されるはずです。


話は逸れましたが、その時に母親が迎えに来ていて、まだフラフラな状態で退院した俺を見て開口一番、「あんたのせいでICU代8万もかかったんだからね。これきっちり返してもらうから」でした。


でももう俺を助ける人間や理解する人間などこの世にいないと思っていた俺は、別にショックを受けるわけでもなく、「金の話はあとからにして」と言い、帰りました。


その後、その金は耳揃えて返しましたが、もうその頃から職場復帰は無理なんじゃないかと思い、前職を退社したあとは失業手当で何とか食いつないでいました。


でもそれも満期を迎え、いよいよ生活が厳しく、事情を知る家族や親戚に頭を下げて金を貸してくれと頼み込みましたが、誰1人貸してくれる人はいませんでした。


今度は確実に死ねるようにロープを買ってきて、確実に死ねるロープの結び方や首の吊り方などを徹底的に調べあげ、いよいよだなと思った時に、珍しく母親から電話があって、
「あんた、生活保護受けたら?そしたら今の生活も少しは楽になるんじゃない?」
と提案してくれました。


俺の事なんてどうでもいいんだろうと思っていた母親からの電話。
俺は「こんなんでもまだ心配してくれてんのかな」なんて思いながら相談に行ってみると言い電話を切りました。


次の日早速相談に行くと、かなり厳しいと聞いていた生活保護申請の手続きもあっさり終わり、すぐに受けることが出来ました。


とりあえずそう提案してくれた母親に礼のひとつでもと思い電話をし、
「生活保護通ったわ、俺のために言ってくれてありがとう」
そう言いました。


すると母親は、
「良かったね。これで私もあんたから金貸してくれって言われなくて済むわ。大体あんたからそう言われるのが嫌だったからこの話したんだけどね」


なんだ、俺のためじゃなく自分のためだったのか。


自分の息子が管理職の仕事で頭パンパンになりながらも必死に必死に働いて、とうとう限界が来て下った診断が双極性障害。


この3年、家族親戚からどんな病気なのかをいくら話しても全く理解されず過ごしてきた。


だから誰にも頼らずたった独りで全てのことをやってきた。


俺の人生には昔のバチが当たったんだなと思いながら、誰も信用出来ずたった独りでもがき苦しみ、誰にも相談もせず常に自分の心を押し殺してきた。
それは今も続いている。


長くなりましたが、俺が人を信用出来なくなったのはこういう育ちの悪さ、そして環境だと思います。
挙句の果てには病気でそれが更に増した極度の人間不信。


俺はもう二度と人を信用出来ない。
そう言い切れます。


最後に、何故こう思うのか理由を言って終わりたいと思います。


母親に、
「双極性障害は治らない病気。だから早く治せとか頑張って治せとか絶対言っちゃならない」
と言った時に言われた一言。


母親「おつかれ」


ここまで読んでくれた方々、ありがとうございました。
またタイミングを見て更新したいと思います。


では、蓮でした。