京都五山の送り火と生と死と。 | 布ナプキン専門店 REMEDYGARDEN ママ社長 ☆田上玲子ブログ

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先日は京都五山の送り火でした。

なんとも言えない不思議な感覚になりました。


新居ではバルコニーから

大文字と左大文字の2つがくっきりと見えるのですが、

特に左大文字↓は本当にすぐ目の前に見えるのです。



こちらは大文字↓こちらの方が遠目で全体がよく見える。去年まではずっとこんな距離からしか見た事なかったので。




今まで住んでいた場所からは、見えていたけど遠くからだから、むしろ全体像が見えて

ただ、綺麗だなー、という感覚だったんだけど、


今回の左大文字の送り火は

綺麗だな、とか、そういう感覚ではなくて。


それこそ人が松明を持って大の字に火をつけてるところも見えたし

徐々に燃え上がる炎、バチバチという音まで聞こえた。

煙が立ち上り、その煙のにおいまで嗅ぐことができた。

実物を見たくて、カメラを手に持ったままあまり意識せず撮ったらブレブレだけど、徐々に火がついていく様子が見えます↓





そして、なぜか

フッと、
 
死は怖いもの、悲しいものではないなぁ。


って改めて思ったんだよ。


身内や自分の死、

昔は怖いなー、嫌だなー、悲しいなーって。

ただただ、漠然と恐怖に近い感情を抱いていた死が、

やっぱり、怖いものではないんだよなぁ、って。



送り火の間中、ずっと、そんな不思議な感覚だった。

生と死の境目が無くなったような。

魂目線だと、
生きている事の方が不自然で
肉体を離れている時の方が自然な状態だな、なんて。


借り物(肉体)にお邪魔してます、今世もう少し、
一緒によろしくお願いします、と心の中で言ったよね。


京都には、魂の存在であるという事を思い出せる瞬間が1年に何度もある。

幻想的な桜の中に立った時もそうだったな。


  


花も炎も枯れて消えて

土に還る。



淡々と。


命は巡るから
人は、その瞬間の景色や人やものを見て
美しいと感じるんだと思う。


目に見えない魂の存在は、
美しいとか、醜いとか、儚いとか、
悲しいとか、嬉しいとか、寂しいとか
そういうものを超越したもっともっと先の
ただただそこに在るだけなんだと思ったんだ。


だから、本当はみんな、
ただただそこに在るだけなんだよ。


魂といわれるその存在がただ在るだけ。


だから、どんな生も死も怖くないと思ったんだ。

目に見えているものは消えて無くなるけど、
根本はずーっとずーっとただ在る。

今世肉体を離れたご先祖様達の魂も
ずーっと在るんだもん。

いつか私がこの体を終えるときも
私の魂はただ在る。


だから、なんにも怖くないし寂しくないな、って。

ね♡


先日のお盆は父母が京都に^_^

2日間みんなでワイワイと。

床、綺麗でした^_^





おなじみの喜shinさんへも♡



なんだかんだいっても
仲良い2人



こちらもね 笑笑


みんなみんな、
今世の繋がりに、乾杯♡