∀私の自我(角豊内氏)・3
手天道衛教・自分神話研究会・410
あなたのメンタルヘルスに貢献する。
前回に続き、角部内が自我の手天・角豊内になった経緯についてです。
在所でハンミョウという虫が私の道案内をしてくれるのは、育ての祖母が私を衛ってくれているのだという解釈から、角部内は主要氏族になりました。
十代目角部内手斧(ちょうな)は司政官PPKA-99。十一代目は、角部内最寄(もよろ)。十二代目は、角部内名柄(ながら)。
十三代目角部内朝暘(ちょうよう)の時、いよいよ角部内氏を王家にしようと決断し、先代に諡号を送りました。手斧=中衛皇帝。最寄=神化皇帝。名柄=躍竜皇帝。そして、自らは衛国初の二字年号「太極」を使用し、太極皇帝と称しました。
十四代目、角部内尊統(たかとう)は即位して武雄皇帝。
十五代目、角部内直挙(なおたか)は、司政官としても活躍し、PPKA-120。即位して相知皇帝。
十六代目からダキニ信仰が加わり、角豊中富瑛(ぶえい)は司政官PPKA-122で、その後即位して天祐皇帝。
十七代目、角豊中陽釧(ようせん)は司政官PPKA-131で、その後即位して祐神皇帝。この角豊中の姓から、小生の誕生の地が豊中市であったため、痩身の自我の手天として角豊中王家を認める様になりました。
十八代目、角豊内智執(ちしゅう)から、現在の角豊内に改姓されました。智執は即位して天德皇帝。これは智執が数ある王家の中で最上位になったことの現れです。天德皇帝以降、角豊内王家は「王家最上」(おうけのもがみ)と称されるようになりました。
現在十九代目、角豊内衛尉(えいい)は即位して神紀皇帝です。
まとめます。
初代・王堂は、プロ野球選手の正護でした。三代・知行の時に育ての祖母の正護になり、皇后を輩出し、重要手天家となりました。四代目・近衛から政治の主導権を握り、十代目・手斧から皇帝として痩身である自我の手天となり、十八代目・智執から王家の最上位となったということです。最初の王家は関東武。それと混血を重ねながら、現在は角豊内。これがマイ・ヒストリーなのです。
王堂━総軍━知行
近衛━速総━長宗━武建━貞世━矢軍
手斧━最寄━名柄━朝暘━尊統━直挙━富瑛━陽釧━智執━衛尉━日尊