たとえば家族が病気になったとか何かがあったとして、
それはあなたのせいでは無いのです
ただその事実があった。
それだけです。
そこに意味を持たせているのは、その人個人の意識、見方、思考(嗜好、性癖)です。
何事にも実際には意味はなく、単なる風景です。
でも私たちは何故か、そこに意味を持たせたがります
「私があの時、ああしていれば…」
「あの選択をしたからだ」
「こうしたからだ、ああしたからだ」
「私が良く思われていないからだ」
それで、それを「乗り越えた」暁に、喜ぶのです。
乗り越えることなど本来は何も無いのに。
ただそれが起きただけなのに。
そこに何か、そうなる要因があったとしても、
それはあなたのせいでは無いのです。
では何故自分のせいにしてしまうのか?
無価値観からです。
罪悪感から、も同じことです。
でもそれは。
生命全体に対する冒涜であり、不信です。
あなたはただ、そこに居れば良いのです
居る、存在する
それが全て。
何かあったとき、「あなたのせいにする人」というのは実際には存在しません。
言動的にそう言われたなら、それはあなたの根底の意識から生み出した「現実(=幻想)」です。
あなたは常にリラックスして良いのです
肩の力を抜き、
否、チカラを抜けないことを自覚し「これが私なんだなぁ〜」で良いのです。
その力の抜けなさを自覚した頃から。
実際にはチカラは抜けていきます✨
リラックス街道に、自然と入っていきます。
リラックスとは、リラックスしなきゃ〜!
な状態でするものでなく、
今のそのままの自分を認め、自覚しているなかで自然と起きるものです。
自然の中に居るとそれが進みやすいのは、
自他(=世界)が感覚的に一体化しやすいからです。
この心地よさが、今の自分の総て。と、感じやすいから
だから私は海や山などの自然のなかに身を包ませることを、推奨しています