この二日間、めっちゃ眠かったのに
お風呂に入って暖まったら、
目は眠いけど精神が覚醒してしまったので
書かなければと思いながら何ヶ月も経ってしまった事を書きます
今年の1月の終わり頃
ある「序列」を見て、あーーもうこういうの嫌だな!と、ハッキリと思った。
誰々がコレをやったから功績がある、やってないから無い
もうそういうので自他共に寂しい思いをしたり脱力したり苦しむのは、うんざりだ。と思った
私はガチガチの昭和世代で、序列こそがすべてみたいな世界観で長いこと生きてきた
それが表面上そう謳われていようが、綺麗事で覆い隠されていようがねー
受験の時はみんな、ホント凄まじい勢いだったし
就職活動でも同じだったねー
私はそういうのからは遠のいて、好きなように気ままに生きてきたつもりでいたけど
それでもやはり、どこに行ってもどこに居ても、序列とか優劣で色々決まる世界は感じていた
あーだけど、誤解しないで欲しいのは、
昭和〜平成までは、それが正しいやり方だったんだとおもう
若者が大勢居る時、一番チカラを発揮させるのに適しているのは競争社会だったと思うから。
いちばん手っ取り早いというかね。
だからこそ日本は長らく経済大国でいられたのだし。
もちろんその弊害(落ちこぼれとか社会不適合者とか、あとは競争の果てに引きこもるエリートも少なからず居る)だってあるけども
それよりは経済的に「できる人」を生み出し、牽引させる方が早かったんだと思う。平成まではね。
それでね、
まぁそれでも、愛する家族と暮らして、たまに気の合う友人らと話をし、子供たちのために精いっぱいやれることをやればイイかな。ぐらいに思ってたのよね
それでコロナ強制終了が起きたとき。
「やっぱりね」とは思ったけど、
それは阿頼耶識で感じていた「競争社会、序列社会に疲れた人々の集合意識的な流れ」のせいにしていたけれど、、
実際には「私」が引き起こした事でした
それを自覚したんです、さっきお風呂で温まっているときに
あーー人のせいにしてたなぁー!って。
寂しいな。とおもったんだよね
序列の表を見て。
こういうの、もう嫌だなと思った。
1月の終わりに。はっきりと自覚した。
そして義父がその直後に亡くなり、
社会的には決して頂点に立った人でも、目立つ人でも無かったにも関わらず、数百人の方々が葬儀に参列してくださったことをみて、その場の温かな空気を感じて、
あーーこれだ。
この空気感だ、私が味わいたかったのは、まさにこれだったわ、、とおもった。
みんなが泣いていて、通り一辺倒の葬儀ではなく、
大勢の皆様方に愛されて、尊敬されていた義父を見て、
序列の世界はもう、本当に終わったんだな。とおもった。
義父はいつも、人のために活動していました。いつも人の幸せを根本から祈っていました。
社会的には大変苦労した時代もあったとおもうけど、最後は「生前の田村さんには大変お世話になりました」という皆様が、たくさん来てくださいました。
その葬儀が2月頭で、それから一か月もしないうちに、強制終了が訪れて
やっぱり、思考は現実化する。とおもった
もう誤魔化せないし、隠し仰せない
「私=あなた」が感じていたことがそのまま現実化する。
そのスピードの速いこと。。
だから、目を逸らさずに
私は、あなたは、
これからの世界をどうしていきたいか。
どんな自分で生きていたいか。
コレは心地よい、悪いを、しっかり自覚することが大事。コレがいい!と
人ごとや、誰かが創造した世界ではなく、あなたが想像したことがそのまま現実の世界になっていきます。
その節目がこの令和2年、2020年なのです。
それをみんなが自覚する時です。
こういう話が苦手な人も、是非このことを一緒に感じて欲しい。
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セラピスト田村さくら🌸