こんにちは。

魂響書占 たまゆらしょせん えりこです。


死体の夢の話ドクロ

お読みくださりありがとうございます(*^^*)


続きです。




深読み「死体の夢」(1)

深読み「死体の夢」(2)

深読み「死体の夢」(3)

深読み「死体の夢」(4)


深読み「死体の夢」(5)


深読み「死体の夢」(6)

深読み「死体の夢}(7)





書いてみたら 

「案外 そう大したことじゃなかったのかも」

と思えた 昨日の話



でも なぜ私が


ドスッまと


と胸に穴が開いた と思ったほど

あの時 大きな痛みを感じたのか?



「誰?」は成仏したけれど

まだなにか 

心に引っかかるものがあったのです。


今日は そのことをもう少し掘り下げてみます。




゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆





私 結構 初対面の人と

おしゃべりするのは得意です。


それは 実家が自営業だったことが

大きく影響していると思います。


注文紳士服店の両親 祖父母は

お得意様や同業者の方を部屋にお通しし

食事をご馳走することがよくありました。


ご飯を食べているおじちゃまやおばちゃまの横で

幼い私がお相手することも よくあったのね。


親戚や両親の友人たちも

よく遊びに来たり 泊りに来たりしてました。


とにかくお客様の出入りがとても多く

私は小さい頃から「人慣れ」していたんだと思います。


知らず知らず習得していた人付き合いのこの技は

人間関係でうまい具合に発揮され


…ていたのだと思う^^



学生時代 さほど大きなトラブルもなく

OL時代は 部長や課長 先輩社員の方々に

とてもかわいがっていただきました。


同僚や後輩 

退社後はママ友との関係も この技を駆使して

人間関係を「わりと」そつなくこなしていた


と思っていました。


゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆







私にとって 

人間関係が調和されている状態とは


私が思う距離=相手が思う距離


でした。



そう思えることが

「正しくて 良いことで 安心できる」

状態だったから。



上記の「そつなくこなしていた」時

私は 安心していたのですね。



けれど 

サードの子に「誰?」と言われた時は


この均衡が崩れた瞬間でしたドンッ


「私が思っていた彼女との距離と

 彼女が思っていた私との距離

 全然違ってたじゃーんあせる


という ショック叫び 不安叫び ドカンドンッ



このショックを 大人になってからも

実は 何度か感じたことがありました。


「わりと」と書いたのは

同じく崩れた(壊した)時があったからですドンッ





私が思う距離=相手が思う距離



私が この式を保持するために使ってきたのが


「人に合わせる」


という幼い頃からの人慣れで身につけた 

上記のお得意ツールです。



このツールは 人間関係を表面上 

平和的に穏やかに保つ上で

学校生活 会社生活 主婦生活

確かにとてもうまく機能しました。


だけど同時に

「ん?」 という 

かすかな違和感を感じることもありました。



例えば


何度か会ったことがある人で

私の中では まだ「知り合い」

でも相手の人は 「友達」


そう思っているんだろうな と感じる

言葉使いや態度を受け取って

気持ちがザワつきながら

私も相手の「友達」に合わせて

自分が思う以上に 

親しげに対応してしまったり ね。


逆も然り で。


お友達モードで話しかけたら

丁寧語で返ってきて 

アワワと慌てて ですます調に変更したり。


この調整に 

かなりのエネルギーを注いでいた

と感じます。



たくさんのママ友とのランチ会やセミナーなどで 

対する人数が多数になった時は

「うまくしゃべれない自分」

をすごく感じました。


なにを どう言ったらいいのか

わからないうちに どんどん話が進んでしまい

ほぼ みんなの話を聴くだけで終わった

なんてことも 1度や2度ではありません。


私 対 1人 

私 対 多数


この両方を知っている友人からは


「2人でいる時はよくしゃべるのに

 みんなでいる時はおとなしくて 全然別人だね」


なんて言われたのですが

それがどうしてなのか?


自分でもよくわかっていませんでした。



でも今は こう思う。


対象者が1人なら(2,3人ならまだOK)

相手に合わせることが出来たけれど


対象がそれこそ大勢になると 

みんなに合わせきることが出来ず


「黙っていよう それが安全」


という対処になっていたんだろう と。


また1対1でも 相手から


「あなたは話を聴いてくれる人だから」

「聴き上手ね」


なんて前置きされると やっぱりそれに合わせて

「黙っていよう」になってたな。 


ただ この「黙っている」も限度があって

私が限界を超えてしまった時

自分でも感情のコントロールが出来なくなり 

ドカンドンッして 友達を失ったこともあります。


その限度も限界も 

自分ではよくわかっていませんでした。





そして どうも最近は 

この自分で思っていた安心・安全の人間関係式


私が思う距離=相手が思う距離


が変わってきているように感じるのです。


ちょっと シーソーのイメージで説明しますね。


シーソー



今までは 

シーソーが地面と平行になるように

私が 相手の言動や態度に合わせて

近寄ったり 身を引いたり 距離を測り 

調整して均衡を保っていたイメージ。


これが 

私が安心する 

安全な人間関係の状態でした。


私が思う距離 = 相手が思う距離

シーソーKittyの画像(プリ画像)





前回の記事の

(この人誰?)(なんて名前?)を

「笑顔で名前は言わない」作戦で

見た目の調和を保ち 乗り切ってきたのも 


正にこの状態。


「相手は私のこと知ってるんだから

 私も知ってるように対応しなきゃ」 ってね。


結果的にその状態は 

話も上の空になっちゃって 後で自分も凹んだし

相手に対しても 失礼で申し訳なかったな 

と思うのです。



そして 新たなシーソー状態

まずは コレ

ガゴン! ガゴン!と

お互いに足で地を蹴り飛ばし

激しく上下するシーソー


それもいいんだな と思う。



前回の記事で


「あんた 誰?」

「あはは だーれだ?」

「うーん…??」

「○○で会ってるよ」

「あー思い出した 思い出した!」


って言い合っていた2人が この状態。


相手からの振動を肌で感じ

素直な気持ち 本音を

伝え合っているイメージね


私が思う距離 相思相愛 相手が思う距離



Suzy's Zoo68(動く)の画像(プリ画像)







また 別のシーソー


どちらかが相手に近づきたくて

どんどんシーソーの真ん中に向かって行って

でも相手は 気づかず昼寝chanderium


なんてのも 漫画みたいで面白いかもね


夏祭りのあの日の

私とサードの子の関係は これね

(あの時は ドスッまと だったけど^^;)


私が思う距離 < 相手が思う距離


Suzy's Zoo67(動く)の画像(プリ画像)





さらには こんなシーソー状態もアリかな


「やっぱ や~めた!」


一方が急にシーソーを降りて

1人だけ その場にとり残されて

淋しくなって…


うん そんな時もあるよね


人と疎遠になったり 

ドカンドンッして別れてしまうのもそう


友達が去ってしまったこと

自分から去ったこと 

私も 両方ある


私が思う距離 ≠ 相手が思う距離



原画の画像(プリ画像)




ただ 確かなこととして言えるのは

その時々のシーソーの傾き具合や状態

自分のいた位置や場所で 体感して 体験して

初めてわかったこと 気づいたことがあったってこと。


死体の夢を見て

30年 40年前の記憶が蘇り


「ああ そうかひらめき電球


と今やっと 納得できたこともありました。


そう考えると 人間関係って 

上に書いたシーソーのように 


平行でも 

傾いたままでも 

1人残された状態でも


どれも 『釣合っている』んじゃないかな


って思ったの。


言葉だと矛盾があるけれど。

 


「解釈」するまでには 

わからない時間経過もあって 


またその間さらに 

叫びの経験があるかもしれないけれど


必ず 『釣合っている』んじゃないかなぁ


って。


生きているうちにわからなくても

死んだら 絶対わかる みたいだし ね^^



うん 大丈夫 釣合ってる


今のシーソーが釣合っているんだとしたら

その状態は わたしに

何を伝えようとしているんだろうはてな


これからも そこを見つめていきたいな


こっち(この世) でわからなければ 

あっち(あの) でね^^




~ つづく ~




深読み「死体の夢」(9)






 





(青)エンジェリックウィスパーカード 

4 Balance Your Life 人生にバランスを保つ