こんにちは、大井です。

 

ミュージカル「エリザベート2022」、首を長くして発表を待っていますがなかなか舞い込んできません。

もしかしたら、このまま2022年にはどこもやらないのか?東宝も宝塚もウィーンも!?

 

そんな悪夢が頭をよぎりだした今日この頃です。

 

 

さて先日はウィーン大司教のラウシャーをご紹介しました。

 

 

 ミュージカル「エリザベート」に出てくるラウシャー大司教は、劇中では不埒で陰険な存在です。とはいえ実際の史実を紐解くと、彼はロイヤル・ウェディングの司式者を務めるほどの超大物聖職者でした。

 

ミュージカル「エリザベート」で描かれるこの結婚式のシーンをよくご覧になってみてください。式を主宰する司式者は、ラウシャーであったり、違う聖職者であったり、はたまたあの人であったり・・・・。ウィーン版、宝塚版、東宝版の挙式シーンを見比べてみると微妙な違いがあることに気づくかと思います。司式者が誰かによってこの結婚式の見方が変わってしまうのも面白いものです。

 

 

『ライプツィヒ絵入り新聞』と『オーストリア絵入り新聞』より

司式を務めるのがラウシャー大司教

 

本日はラウシャー大司教に関連して、もう一人大事な人物をご紹介したいと思います。

 

ミュージカル「エリザベート」の第1幕、皇帝の登場シーン。そこでは、ラウシャーとともに皇帝の側近グリュンネ伯爵、そしてシュヴァルツェンベルクという侯爵が出てきます。このシュヴァルツェンベルク(Felix zu Schwarzenberg)侯爵、彼は皇帝の信任が厚く、1848年からオーストリアの宰相(外相兼任)を務めた重要人物です。劇中では彼の口から「クリミア戦争」というフレーズが出てきますが、クリミア戦争とは?

 

ロシアとオスマン帝国の戦争を契機に始まり、イギリスとフランスがオスマン帝国側につきロシアと一戦交えた、あの教科書に出てくる「クリミア戦争(185356年)」です。

 

イギリス・フランス・オスマン帝国・サルデーニャ連合軍VSロシア帝国のバトル、つまりナポレオン戦争以来40年ぶりとなるヨーロッパの大国同士の戦争ですね。

 

では、オーストリアはこの戦争でロシアとイギリスのどちら側につくべきか?ミュージカルのなかでは、それを協議するために御前会議が開かれています。出席しているシュヴァルツェンベルクがそこで持論を進言するわけですが・・・・。

 

実は、クリミア戦争が大国間戦争に発展する2年前の18524月、なんと彼はすでに病死しています!つまり、クリミア戦争の発生よりも前に他界しているのです。ということは、シュヴァルツェンベルクのお化けが御前会議に参加して喋っている!?・・・・わけではなく、クリミア戦争への対処方針をめぐる御前会議のシーン、あれは史実に沿ったものではないということですね。

 

一番左が皇帝フランツ・ヨーゼフ1世

その右にシュヴァルツェンベルク宰相

 

 

シュヴァルツェンベルク侯爵

 

 もちろん、ミュージカルに潜む歴史の「歪曲」にケチをつけようなんて腹積もりはありません。演劇やミュージカルは、歴史をモチーフにしていようと、史実と完全に合致することを求められてはいません。現代風のアレンジやフィクションの要素を混ぜるからこそ、歴史ミュージカルは理解しやすくなったり、エンターテインメントとして面白くなったりするのです。そもそも歴史を忠実に再現することなど最初からできません。歴史を教える教員としては、史実どおりかどうかも大事だが、まずは歴史に興味を持つ第一歩としてミュージカルに触れてもらいたいと思っている次第です。

 

 とはいえ、どこまでが史実でどこからが創作か?歴史を題材とした作品である以上、どうしても気になることではありますね。歴史ミュージカルにおけるこの「リアリティ」の問題については、いずれまた別の機会に考えることにします。

 

 ここでは、そもそもミュージカル「エリザベート」のなかに、なぜ「クリミア戦争」のお堅い話が入っているのか?この点をちょっぴり考えてみたいと思います。これは単に皇帝のマザコンぶり、つまり母ゾフィーのいいなりになる息子フランツを揶揄した意味づけにとどまりません。エリザベートにとっても、ハプスブルク帝国にとっても、クリミア戦争はすごく重要な意味を持つ出来事なのです。私はこれを「トートが仕掛けた時限爆弾」と呼んでいます。


後編につづく