宮中で、王皇后と蕭淑妃が寵愛争い、皇太子争いを繰り広げる中、
外で、武照との恋愛を楽しんでいた高宗。
二人に武照の存在を知られたら、
高宗は責め立てられるし、武照は命を狙われてしまうかもしれません。
高宗は武照と密会し続けました。
その結果、なんと、武照が懐妊します。
高宗は王皇后と蕭淑妃にますます切り出せなくなり、
652年、ついに、お寺で、
武照は自身にとって第一子、高宗にとって第五子となる李弘を出産しました。
※お寺ではなく、宮中で出産した説もあります。
皇帝の子どもを産んだ女性を、お寺に置いておくわけにはいきません。
ましてや、男の子である李弘は、皇太子になり得る存在。
高宗は武照と李弘の存在を、王皇后と蕭淑妃に切り出しました。
王皇后と蕭淑妃は驚きましたが、尼僧の武照には目もくれませんでした。
「高宗が武照を愛したのは一時的なこと」
「私達が武照に負けるはずがない」
と、軽く考えていたんです。
それどころか、王皇后は武照を利用して、
高宗と蕭淑妃の仲を引き裂こうと企みました。
高宗の近くに武照を置けば、
高宗は蕭淑妃のもとへ足を運ばなくなると考えたんですね。
武照を昭儀という身分で宮廷に迎え、
武照の母・楊氏に栄国夫人、姉・武順に韓国夫人の称号を与え、
宮中に自由に出入りできるようにしました。
(以下、楊氏 → 栄国夫人、武順 → 韓国夫人)
妃妾制度は、次のように定められていましたね。
正一品 → 貴妃、淑妃、徳妃、賢妃(以上は「夫人」)
正二品 → 昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛(以上は「九嬪」)
正三品から正五品 → 婕妤、美人、才人(以上は「二十七世婦」)
正六品から正八品 → 宝林、御女、采女(以上は「八十一御妻」)
二度目の宮廷入りを果たした武照に与えられた昭儀は高い身分ですが、
皇后や淑妃と比べると、当然低い身分です。
王皇后は、
「武昭儀は私より身分が低いから、大丈夫」
「尼僧だった武昭儀が、高宗の寵愛を受けるはずがない」
と安易に考えて、武照を高宗に近づけました。
でも、武照を大好きな高宗は、蕭淑妃からはもちろん、
王皇后からも離れてしまいました。
王皇后と蕭淑妃は敵対していましたが、
武照を高宗から引き離そうと、やがて、協力し合うようになりました。
王皇后と蕭淑妃が手を組んで、
自分を引きずり落とそうとしていることを知った武照は、
「私が皇后にならなければ、私は宮廷から追い出されてしまう」と焦りました。
そして、自分が高い身分に就く機会、
つまり、王皇后と蕭淑妃を引きずり落とす機会を探し始めました。