フランスのテロ事件で思うこと | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 なんと痛ましい事件なのか?

 普通に生活していた人たちが急に銃の乱射や爆弾テロにあり百数十人が命を落とし、それ以上の人が肉体的なケガを負い、精神的な後遺症を残すことになるなんて。

 フェイスブックの顔写真に三色旗が施され、たくさんの人たちがこの事件を悼んでいることがわかります。

 ただ、これがおフランスのパリスで起こった事件だから?

 ただ、これが気高き白人のフランス人が犠牲者だから?

 日ごろから、チベットやウイグルの人たちのCHINAの人民解放軍による虐殺を書いていたり、戦争の犠牲になっているのはフランス人だけではないのになあという複雑な思いもあります。

 当然人間ですから、自分の憧れた国や気になる人たちの動向が話題に上るのはわかるのですが、いつから日本人はフランス通の人が多くなったのかと思うのは私だけでしょうか。

 ただ誤解の無いように書きますが、人の不幸を悼む心は崇高だと思うし、人間として優しい気持ちは世界の安寧に繫がるという考えを持っています。

 フランスで起きたテロ事件を見て、何かをしなければならないと思った人は素晴らしいと思います。

 自分のプロフィール写真をトリコロールに変えるという行動もいいのですが、さらに何かもう一つ行動を起こしませんか。

 そこで今回の事件から何を考えるべきかを書いてみようと思います。

 フランスでテロが起こった。

 それはシリア国内にあるISILを空爆したからでしょうか。

 その報復でテロが起こったから、またフランスはISILの事実上の首都に報復爆撃を敢行しました。

 これを遠くの日本から見ると「負の連鎖」がいつまでも続くからやめればいいのにという人もいます。

 しかし、現実にはシリアなど中東の諸国と地続きのヨーロッパ各国にはたくさんのイスラム教徒が入っており、社会の底辺の多くを形成している事実を見過ごしてはいけません。

 よりよい生活を夢見て移民してきたものの、そこにあるのは差別や経済的貧困など様々な社会問題があるのです。

 つまり、これを総じて移民問題といえるでしょう。

 その大きな問題点の中で、なぜ自分の国を捨ててよその国に移民になるのでしょう?
 
 それは自国で安寧に家族が暮らせないからです。だれでも、自分の生まれ育った村や町で同胞と一緒に暮らす方がいいに決まっています。

 しかし権力者は自分たちの権力を守るために反対派を武力で弾圧し、同じ民族で殺し合いをしています。

 つまり、国家が国家の体をなしていないということです。

 なぜ中東の諸国に国歌としての体をなしていない国が多いかというと、それは欧米の植民地支配にさかのぼるという説も出てきますが、ここではその前で止まって考えてみたいと思います。

 つまり、国家が国家としてまともに機能していれば、その国の国民が自分の国を捨ててよそへ移民とならずに済むのだということを私たちはもっと真剣に考えなければならないと思います。

 では国家は国民に何をせねばならないのでしょう?

 それは、自分が努力しただけの成果を公平に得ることができるように、社会を円滑に運営し、他国との国境を明確にし、自国の主権が及ぶ範囲で国民の経済活動が滞りなく行えるようにすることではないでしょうか。

 つまり国家は国民の生命・財産・そして権利を守ることが要求されています。

 中東では?アジアでは?アフリカでは? そして最近はヨーロッパでもそれができない国が増えてきました。

 インターネットの普及で情報だけは一瞬にして全世界を飛び回るのですが、それが現実と違う場合にその差を埋めようと最近は移動することを覚えたのです。

 最近ミャンマーでアウンサン・スーチー女史の率いる政党が第一党になりました。マスコミは民主化、民主化とはしゃいでいますが、今のミャンマーに民主化で人々の位の安寧を約束できるのか疑問です。

 ちょっと前のアラブの春と呼ばれた「民主化」運動が起こりましたが、現地での秩序を破壊し、その結果、ISILなどの台頭を許したのではないでしょうか。

 私たちの(西洋的な)価値観で、民主主義が絶対だということはあり得ないのです。場所によっては良い独裁者による軍政が必要な民度の高くない国も多いのです。

 日本では明治の新政府では大久保利通がいわば独裁をしました。

 明治政府の改革はみんなの話し合いで決められたわけではありませんし、ある一部の愛国者がこれが日本のためになると信じて断行したのです。

 もし、話し合いで「廃藩置県」などをしようとしたら、きっと実現しなかったと思います。大久保が絵をかき、西郷が武力をもってにらみを利かしたために、利権を持つ人から既得権益を取り上げて新しい国家体制を築いたのです。

 もし、成功していなかったら日本は欧米の資本主義に飲み込まれ、一応独立国の姿は保ちながら経済的隷従の憂き目にあっていたことでしょう。

 李氏朝鮮の両班の既得権が朝鮮の近代化の足かせとなる朝鮮総督府は両班の利権をはく奪しました。それにより、両班の恨みを買い、その権化が李承晩でした。だから彼は反日を国是として大韓民国を建国したのです。
 
 その恩恵を被った朝鮮国民はその恩を忘れ、強いものにつく、お金になる方につくという節操のない行動のために経済的混迷から抜け出せずにいます。そして歴史を直視しろと的外れ的なことを日本に言うのです。

 では、なにが日本と世界の他の国々との違いなのでしょう?

 それはどこまで為政者が私心を捨てることができるかだと思います。

 そして日本には世界で一番私心のない方、天皇陛下がおわします。

 時の為政者は天皇陛下のお姿を見て、自分の行動指針にします。それができればできるほど善政となって国民が幸福になるのです。

 いま内戦などの紛争をしている国に天皇陛下のような存在が居られたら、たちどころにその内戦は収まるでしょう、いや内戦そのものが起きないでしょう。

 それが時間という重みがなせる業と言っていいのです。

 だから、共産主義者達は自分たちの革命を成就させるために天皇陛下の存在を「天皇制」というあたかも人間によって私的に作られた制度に見せかけて、廃止を画策するのです。

 ご皇室、「天皇家」でもありません。これは井上家や安倍家などと同列に扱う共産主義者の卑怯な手法の一つであり、ご皇室には苗字がないので「天皇家」と呼ぶのはおかしいのです。

 ご皇室という存在によって私たち日本人は自分の分際というものを知り、分かち合うことによってたくさんの人が安寧に暮らしていけると知恵を持ったのです。

 話がどんどん移り変わってしまいました。

 結論は、私たち日本人はもっと自分の国に誇りを持って大切にしなければならないのです。

 そして、その日本的な心で世界の困っている人たちとともに痛みを分かち合わねばなりません。

 今回の事件でもわかるように、人々が毎日ちゃんと食べていくこと(生活)ができれば移民問題も起きないし、争いも起きないのです。

 それはキリスト教でもイスラム教でも教えられています。でも、実際は実現できていません。

 汝の隣人を愛すことはできていないのです。隣人とは隣に住む人という意味ではなく、異民族という意味が無効では一般的です。

 その模範を日本人が凛とした態度で見せることが大切です。

 そのためには、自分に降りかかる中韓の中傷に断固と立ち向かい言論戦を制し、CHINAが行っている侵略行為をたとえ経済的不利益を被っても断固として糾弾し、アジアの国々と歩調を合わせて是正するように求めなければなりません。

 だからこそ強いものには尻尾を巻く中韓に負けない軍備(個別的自衛権)が必要となってくるのです。さらに他の国々と連携を取って行動ができるような法的根拠(集団的自衛権)も普通の独立国として必要となってくるのです。

 話し合いで解決できることは、お互いの武力が拮抗している状況下以外では成立しません。

 なぜならば、強いものが弱いものを力でねじ伏せるのが国際常識だからです。だからそれに対抗してテロという卑劣な行為で一般市民を巻き添えにして報復します。

 フランスが空爆をしてたくさんのシリアの一般市民が殺されている事実もあるのです。

 でも、この状況を解決するのに話し合いでは絶対に解決できません。酒をもって相手の陣営に言ったらすぐに捕まって首を切られるのがオチです。

 だから、国際社会と協調してそのガンを外科手術で摘出して、あと内科的治療を施すしかないのです。

 日本は外科手術に参加することは現在ではできません。でも、内科的治療は施すことができます。自分たちを爆撃してきた相手を許すなんて日本人以外出来ないのです。

 国際的な役割を果たすことにより、中東の秩序を回復し、人々が安寧に家族と一緒に暮らせるような状況を作らねばならないのです。

 それが日本でのテロを誘発するような意見をサンデーモーニングで言ったそうですが、それは大きな間違いだと思います。

 話が大きくなってきましたが、日本が国際社会でできることは限られています。でも、絶対にないカードが移民受け入れのカードです。

 日本は日本独自の方法で国際社会に積極的に参加すべきであり、移民割り当てを検討するような議論をしても何の解決にもならないのです。

 移民が起きないようにするためには?

 難民がその地で生活基盤を得るためには?

 660年に百済が滅亡し、たくさんの避難民が日本に逃れてきました。国費で賄うといつまでたっても難民は自立できません。そこで当時の政府は難民を使って太宰府防衛のための水城を築城させ、そこに賃金を支払い、経済的基盤とそれぞれの能力が発揮できる場所を提供しました。

 その人たちは1400年経って完全に日本に同化しています。あの時に、国費で食事を与えて働いて稼いで生活をするという自立の道を教えなかったら今でも難民問題として歴史の教科書に社会問題化して残っているでしょう。

 人はどんな民族でも働いて生活の糧を得て、暮らすのが基本であるという当たり前のことができるようにすることが世界平和への第一歩だと思います。

 そのためにも意見を通せる環境を作らねばならず、憲法を改正してきちんと軍事的にも独立国家にならねばならないと思います。