河野洋平氏の証人喚問を実施すべし! | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
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 戦時売春婦の問題に関する聞き取り調査の裏付けがあまりにもずさんさが問題で国益を大いに害している問題の責任者である河野洋平氏の証人喚問をすぐにでも実施すべきです。

 今日の産経新聞の阿比留記者の記事では、あいまいなところを正そうとする役人を河野氏が一喝し、うやむやにした挙句に、確固たる証拠も無しにひたすら謝罪をして事を丸く収めることを優先したようです。

 そこには、河野氏の政治信条だけでなく、加藤紘一・宮澤喜一コンビの流れからくる自民党内の自虐史観にまみれた政治家たちの発露がそうさせているように思えます。

 数年前、戦後アメリカの国籍を取りカーター大統領やレーガン大統領の時に日本語の首席通訳官を務めた人と話したことがあります。

 たいへん温厚で日本の文化、アメリカの文化に造詣が深く、さすがアメリカ政府の日本語の首席通訳官を務めた人だと感心していました。

 いろんな文化の違い、訳の違いなどのお話を他の人もいたのですが、話がどんどん深くなっていったために、二人だけで話すようになりました。

 私も尊敬し始めていた矢先に、ちょうど田母神閣下と近々会うという話をした途端、相手の態度が豹変したのです。
 
 「ああいう輩が日本をまた戦争に引き込むんだ」という先ほどまでの温厚な態度が一変し、憎悪に満ちた表情になりました。

 そしてよく聞くと彼は戦前ホーリネス派の牧師だったことがわかりました。ホーリネス派は戦前反日勢力として官憲から痛い目にあったということを知っていたので、この人の政治信条が理解できました。

 そしてアメリカが日本を解放してくれたというようなことまでいいはじめ、その言葉にカチンときた私と今迄の和やかな雰囲気はどこかへ飛んで丁々発止の口論となったのです。

 その場にはお仏壇の長谷川会長などがいらしたのですが、不思議とだれも止めに入らずに、口論は続きました。

 「君は、どうして日本が敗戦したのに、名前がジョーとかロイとか名乗らないで済んだか知っているか」と聞かれました。

 これは、朝鮮人の創氏改名のことを言っているとわかったので、すかさず、
 「それは私たちの先人たちが血を流して戦っていただいたからです」と言い返すとその人は、予想外の答えだったらしくうっと詰まり話を変えられました。

 創氏改名は自虐史観の人たちは、日本が朝鮮人に日本名を強要したと信じ込んでいますが、実際は、満州で朝鮮人というと下に見られるので、日本名を欲しいと朝鮮人側から言ったのが始まりです。

 「だから、洪将軍のように朝鮮名のまま帝国陸軍中将までなった人もいるではないか」というと、彼はさらに答えに詰まり激高し始めました。

 すると周りの人がやっと間に入り会話をそらし始め、そこで話が終わりました。
 
 あとでその会の主催者や長谷川会長に場の雰囲気を乱したことをお詫びすると、口々に「よくぞ言ってくれた、彼は左すぎるから誰か言わなければならなかった。さすが井上君だ」と言われたのです。

 さすがにあれだけの大物になると誰も言えない雰囲気があるし、長谷川会長も立場があるから真っ向から言えないのだということがわかりました。

 私のように守るものを何も持っていないから自由に発言できるということです。

 この話で何を言いたかったかというと、知的レベルの高い人がどんなに情報や知識を身に着けようとも、自虐史観や朝鮮やCHINAに対しての贖罪意識が強すぎると、せっかくの知識が違う方に使われてしまうのです。

 幸いこの人は皇室に対しては尊崇の念があったのでそこで共通点を見出せました。もう90歳に手が届いていることでしょう。その人がアメリカの対日通訳官として働いていたとなるとどんな影響をアメリカの政府に与えたのか心配です。

 そして国内に目を向けると加藤紘一のように総理の椅子まであと一歩のところにいた人もどっぷりと自虐史観に浸かっていました。

 お詫びを補償をと言い出したのはこのような政治家です。

 80年代頃までは戦前や1965年の日韓基本条約締結のころをよく知っている政治家が日韓両国に数多くいたので大人の対応がありましたが、そのベテラン政治家がだんだんいなくなって、戦後の自虐史観教育を受け、変な贖罪意識だけが残った政治家だらけになっていきました。

 それでも石原慎太郎氏や平沼赳夫氏や西村慎吾氏ような骨太の政治家もいましたが、そのころはまだ日本社会党が野党第一党でちょっと右寄りの発言をするとマスコミと寄ってたかって引きづりおろすという状況だったので、だんだん保身に走った政治家はものを言わなくなりました。

 麻生内閣の時だったと思いますが、中山成彬議員が大臣になってすぐの会見で日教組のことを発言したとたんに、ハチの巣をつついた状況となり、大臣を数日で辞任しなくてはならなくなったのを覚えておられると思います。

 ああいう「つるし上げ」が何十年にもわたって続き政治家を骨抜きにしていったのです。

 中川昭一氏も明らかに薬を盛られて会見で醜態をさらし、政治生命どころか命まで絶つことになりました。

 本当に根の深い問題です。

 これらの問題を言わずに日中友好や日韓友好を旗頭にあげてきた政治家が国内でも力を持つようになりました。

 その代表が加藤紘一であり、野中広務・河野洋平・山崎拓らです。

 政治のタブーを守り、自分の保身に走った政治家がこの国の政治の中枢にいたのです。

 でも、良識派もいたために加藤はギリギリのところで政権を取れず、宮澤は戦後の55年体制の最後の総理になり、河野洋平も自民党結党以来初の総裁でなっても総理になれませんでした。

 改憲を党是にしていた自民党が腐りに腐りとうとう左派の代表である民主党に政権を明け渡したのです。

 だから今でもその腐った自民党を知っている人は自民党は信じられないといわれていますがよくわかります。

 だから、私は安倍自民党といって今迄の自民党と区別するようにしていました。
 
 今回の日本国内で政治の中枢にいて日本の歴史の改竄を手助けした河野洋平氏からはっきりと事情を聴くべきだと思います。

 ただ、河野氏は衆議院議長という立法府の長という立場にいた人ですから、国会議員は二の足を踏むかもしれません。

 安倍自民党といえども、同じ党の先輩になります。たいへんしにくいのはよく理解できますが、ここは日本の国益のためにきちんと責任所在を明確にして、河野談話を廃棄し、村山談話を越える政府見解を閣議決定し、中韓の歴史カードを執行させねば、孫子の代まで負い目を負うことになります。
 
 案の定、産経新聞以外からは「なしのつぶて」です。
 
 ネット世論によってこれを盛り上げねばなりません。

 私たちの英霊のために、そして孫子のためにも自分のこととして行動発言せねばならないと思っております。