人権学習と博多祇園山傘 | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
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 地域の自治会の役員である私は、昨日有田校区の人権学習の会場設営と駐車場整理をした後に講師の講演を聞きました。

 有田校区は福岡市でも公民館一番活動がすばらしいところだと思っています。昨日は折からの豪雨でした。それにもめげず、準備した300席では足りずに350人ほどの校区の老若男女が集まり、父親が朝鮮人、母親が日本人で父親の家庭内暴力の下で育った体験などのお話がありましたが、設営と雨の中の駐車場整理のせいか、いや講演の内容がつまらなかったのか、不覚にも気を失っていました。

 気を失うきっかけとなったのが、講師のたびたびの「人権を学んで」という言葉でした。

 「人権」というものは学ぶものなのか?内容を聞いていると、それは「道徳」だろう。お父さんが朝鮮人で朝鮮半島で育ったから知らなかっただけだろう、それをどうして知的レベルの高い有田校区の人たちの話すのか、こんな話聞くことなんてないのに・・・と思っている間に気を失っていました。

 講師は日韓コミュニティプラザというところの代表だそうですが、そういう話は朝鮮でしてきたらいいのに、日本ではあまりにもレベルが低いと思いました。

 公民館館長には人権教育の内容をそろそろ変えようという提案をしてきました。人権=日本は悪いことをしたという内容が多いのですが、もともとの日本に戻れば充分に対応できるのです。

 そういうなか、今朝は3時になんとか起きて、博多祇園山笠のクライマックスの追い山を見に行ってきました。

 4時59分から七つの流れ舁き山と一つの大きな古典的な山が櫛田神社に入り静道旗を回り出て行くまでの時間を競うのです。

 一つの山は約二トン、それを常時50人ほどで担って走ります。全コースは約5キロ、30分くらいで駆け抜けます。全コースを一緒に走ることは沿道にたくさんの人がいますので物理的に不可能ですが、何もなくてもよほど体力を鍛えていなければ、付いていくのが無理なくらいに早く移動して行きます。

 見物人はあれれというくらいにあっという間に山が移動していくのを見るのですが、心配は要りません。すぐに次の山が流れてきます。博多っ子はせっかちなので、テンポ良く進まないとだめなのです。

 このお祭り7月1日から本格的に始まるのですが、準備は半年以上前から山に飾る人形の選定やスポンサー探しなどいろんな準備が始まります。そして250人から300人の舁き手が一堂に集まり、15日間クライマックスのために集団で準備していくのです。体力づくりや時間を計るためにどうしたらいいのかの作戦会議や、さらに長い距離を走るために、担う人が次々と交代していくのですが、それを走りながらするために、円滑にできるように先輩・後輩の意思疎通が重要なのです。

 マニュアルなんてありません。しきたりは学んでそれを体に叩き込んでいくものです。そしてそれがしっかりできてくると位が上がり世話役になってきます。それを象徴するのが「赤てのごい(赤てぬぐい)」ですが、これは博多っ子の憧れになります。

 体が大きく、力のある若者は山の前面で山を浮かします。体の小さい方は後方で山を押します。あまり体力のない中学生などは先走りで道にある障害物や通行人にどいてもらう役割をします。あまり体力はないので、長い時間担げない人はちょっとだけ担ぎます。

 このように自分ができることを完全燃焼して15日間を終えるのです。そこには誰が主役で脇役なんてありません。みんながそれぞれをどんなに小さな役割も果たさねばこの大きな山は円滑に動かないのです。

 強いものは強いものの役割を果たし、弱いものは弱いものの役割を果たします。みんながそれぞれ感謝をし仲間として支えあっているのです。

 こういう仕組みを人権教育という場所でお話しするほうが変なおばさん(失礼)が朝鮮での出来事や家庭のことを話すよりもっと人々に感銘を与え、人情や惻隠の情を理解することになるでしょう。

 皆さんの周りの人権学習も見直す時期に来ているのではないでしょうか?