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今回より小碓命の別名(亦名)であるヤマトヲグナの原型を探っていこうと思います。


今日はまず「古事記」のクマソタケル征伐も物語を見てみましょう。


小碓命


そこで天皇は、その御子(小碓命)の猛々しく、荒々しい感情に畏れを抱いて、仰せになるには

「西の方にクマソタケルが二人いる。彼らは朝廷に服従せず、無礼なものたちである。それゆえその者らを殺せ。」とおっしゃった。

この時に当たって小碓命は、そのお髪を額にお結いになられていた。(ひさごはな)


そこで小碓命は、その「姨ヲバ」倭比売命のお着物と裳(スカート)を頂戴し、

剣を懐に入れて出発なさいました。


「古事記」では小碓命は大碓命を殺していますから、

そこで天皇は、その御子(小碓命)の猛々しく、荒々しい感情に畏れを抱いて、

ということで

今の熊本県球磨郡から鹿児島県曽於郡にいたクマソの首長クマソタケル兄弟を殺してくるように、小碓命に命令します。


小碓命の悲劇の始まりです。


記述によると小碓命はまだ少年で額に髪を結っていたのですが、

これが「ひさごはな」という髪型でして(^_^;)


具体的にどんな髪型かを追及したのは当ブログだけみたいな状態で、

ググっていただくとすぐみられるのですが、いろいろと試行錯誤して最終形がこれです。

  聖徳太子です。
もしかしたらこれ?という疑いも持っていますが( *´艸`)
広隆寺弥勒菩薩像
なんせ謎なのでなんとも···( ̄▽ ̄;)
ただし、重要なキーワードです。

そして小碓命は叔母の倭比売命から
女性用の着物とスカートをもらって出発します。なぜ?
これも謎解きにつながるアイテムw



そして、熊襲建の家に到着して御覧になると、その家の周辺を軍勢が三重に囲んで厳しく警固する中で、

熊襲建は新しい家を造って住んでいました。

そして新築の祝宴をしようと言い騒ぎながら、食べ物の準備をしていました。

そこで、そのあたりを遊び行きながら、その宴会の日を待っておられました。


この「遊び行き」については後で説明しますね。

ここでその宴の日を迎えて、童女の髪のように、その結ってあった髪を解いて垂らし、あの叔母上のご装束を着て、すっかり童女のような姿になって、女性たちの中に紛れ込んで、その家の中にお入りになりました。

すると熊襲建の兄弟二人は、その乙女を可愛いと思って、自分たちの間に座らせて盛り上がっておりました。


日本史上初の男の娘の登場です(*゚∀゚人゚∀゚*)♪って萌えてる場合じゃないんですがw


女装するとめっちゃ美少女だった小碓命は、クマソタケル兄弟にも

「めっちゃ可愛い❤️」と思われ、

二人の間に座ることになります。

その懐には剣が忍ばせてありました。


宴もたけなわになったころ、懐中より剣を取り出し、熊襲の着ている衣の襟首をつかんで、剣を胸から刺し通された時、その弟建の方は、それを見て恐れて逃げ出しました。

すぐにこれを追いかけて家の階段の下に到ると、その背中の皮をつかんで、剣を尻から刺し通されました。


ここでこの熊襲建は「その刀を動かさないでいただきたい。私から申し上げることがございます。」と言いました。そこでしばらくそれを許して組み伏せておられました。


ヽ(;゚;Д;゚;; )ギャァァァと思いながら気になるのは「剣を尻より···」の箇所(^^;)


ここを同性愛の現場と見る説もございます(*ノωノ)

めくるめくBLの世界?にしちゃ女装した方が「剣を尻より···」なの?

わたくし詳しくないので分かりません( ̄▽ ̄;)


しかし、女装というのはなかなかな発想ですね。しかも美少女に見えるほどの超美形❗💕


そして「あなたさまはどなたでございますか」と申し上げました。

これにお答えになって「私は、纏向の日代宮におられて日本を統治されている大帯日子淤斯呂和気天皇(景行天皇)の皇子で、名は倭男具那王ヤマトヲグナノミコだ。おのれら熊襲建二人が天皇に服従せず、無礼であるとお聞きになって、お前たちを殺せと仰せになって遣わされたのだ。」とおっしゃいました。

するとその熊襲建は「まことにそうでありましょう。西の方では我らを置いて建く(たけく)強い者はおりません。

それなのに大和国には我々二人に勝って建き(たけき)男がおられたのです。それならば私が御名を献上しましょう。今より後は倭建御子ヤマトタケルノミコと称えて申しましょう。」と言いました。


このことを申し上げたので、すぐに熟した瓜を割くようにして殺してしまわれました。それゆえにこの時より御名を称えて倭建命というのである。


出立の時は小碓命であった主人公は、クマソタケルに名乗る際に「ヤマトヲグナ」を名乗ります。


吉井巌さんは、これをもってクマソタケル討伐の物語の主人公は、「ヤマトヲグナ」であるとされました。

つまり小碓命に「亦名」としてヤマトヲグナをくっつけることで

双子の大碓、小碓の物語と

クマソタケル討伐の物語との

二つの話を統合したというわけです。


こうして帰京されるとき、山の神、河の神、また穴戸(広島県)の神をみな服従させてお帰りになられました。


ここのルートもちょっと気になります。

広島を通ってるんですよね。(*´・ω・`)bここ大事w


さて、日本史上初の女装男子であるヤマトヲグナ、「日本書紀」はどう書いてあるのでしょう?


次回は「日本書紀」をちょっと覗いてみましょう。


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