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前回お話しした「日本史探訪」から転載した地図です。もう絶版のようなのでいいかな^^;スイマセン

島根県といっても地元のかたでないと、はっきり地名や地形が分かりにくいと思うので、

基礎中の基礎ということで

まず中国地方の日本海側です。
左側(西側)は山口県、右側(東側)は鳥取県です。
南側も重要で、広島県つまり吉備の北側に接しています。

そして、今も境港からフェリーが出ていますが、真西は韓国の東岸です。ここには昔新羅がありました。

出雲市と三輪山と韓国の最短距離は、どちらも300㎞ですから、
出雲から見ると、船で行ける新羅と陸路をてくてく歩く大和では、どっちが近かったのか、

と、まあそういう場所だということです。

卑弥呼のころ、邪馬台国は対馬経由で、半島を通って魏に通交をしていましたが、

実は敵対していた狗奴国(熊本県?)は東シナ海から呉(中国南部、首都は建業=南京市)へ行っていたという説もあるくらいで、

レッドクリフの映画なんかになっている三国志の歴史とリンクしているわけです。

出雲もむしろ大和より、新羅の方が文化も技術も進んでいるので、そっちを向いていたとも言えなくもないと思います。

その古代の地図がこれです。



元の角川さんの地図を分かりやすくしたものですが、
スキャナーでPCに取り込んで書き込もうとしたら、スキャナーが動かず???

何ともアナログになってしまいましたw

これを見ていただくとわかりますが、斐伊川の流路が今と違っていて宍道湖には注がずに西の方に流れ、今は神西湖という小さい湖になっていますが、
古代の神門水海に注いでいました。

左上の突き出た部分が「日御碕」でここらあたりを「出雲国風土記」の国引き神話では
八束水臣津野命という神様が、新羅から引っ張ってきた💦

そして引っ張った時の綱が「園の長浜」今の長浜海岸だそうで、
それが神門水海の西の砂嘴のようなところになります。

この地図で見ると、国引き神話がいかにも綱で引っ張ってくっつけたという設定になっているのが納得できますね^^

そうです。古代の地勢をみて歴史や神話を考えることは、とても大切なのです。

さておなじみヤマトタケルの出雲タケル討伐では、舞台は「肥河」となっています。今の斐伊川ですが
「日本書紀」の方に載っている出雲フルネのそっくりなお話(こっちがこっちが原型だと思われますw)は肥河(斐伊川)が神門水海に注ぐ出口の「止屋の淵」(やむやのふち)になっています

。ですからヤマトタケルの方もここが舞台と考えてよいという事になります。


ヤマトタケル 建部考 その1参照

そういえばホムツワケ伝承でも、「肥長比売」という一夜妻(聖婚ですよ)が登場しますが、まさに肥河のナーガ(蛇神)でオロチ(大蛇)となって追っかけて来ます((+_+))

次回出てきますが、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)も肥河が舞台です。

まさにここが神話の舞台でした。



ヤマトタケルの方は文献や系図を比較し、丹念に分析するという文献史学の方法を取りましたが、

出雲の方は歴史地理学といいますか、そういう観点からみていく、
また異なった方法でアプローチしていくことにいたしましょう。

次回はいきなり出雲神話に入ります。

「日本書紀」は一書が多いので、まずは「古事記」をベースに・・・

そのあとは角川さんのお説に耳を傾けてまいりましょう。

それではご訪問お待ちしております。出雲神話もどうぞよろしくお願いいたします。