①政府財政におけるプライマリーバランスは無意味

 

 国会では良く「プライマリーバランスの改善」、「財政規律」または「財政の健全化」というものが持ち出されます。プライマリーバランス(基礎的財政収支)とは、歳入から国債などによる借入を除いたものと、歳出から国債などの債務の償還分と利払いを除いたものの収支を言います。

 プライマリーバランスの黒字化を目指すことを財政の健全化または財政規律と言います。プライマリーバランスが黒字であるときを財政が均衡の状態にあると言います。

 しかし、どんな財政均衡主義者でも、プライマリーバランスが悪化すれば何が悪くなるのか、改善すれば何が良くなるのかを説明しようとする者はいません。

 財政均衡主義者は、将来に付けを回さないためとか、財政破綻しないためとか、文学的修辞を言うのですが、経済学的に、「将来への付け」も「財政破綻」も説明されたことはないし、議論しようとしても、相手方はひたすら、念仏のように同じことを繰り返すだけで議論になりません。

 「将来への付け」が財政破綻のリスクであるとして、財政破綻がデフォルトを意味するものか、インフレを意味するものかの説明さえもしたがりません。

 まず、議論の席にちゃんと着かせることが大変なのです。つまり、政治家や経済学者は落ち着かない人たちなのです。

 通貨発行権を持ち、デフォルトのない国において「財政破綻」はインフレを意味するだけであることは今まで述べて来たとおりです。

 それは、いわゆる政府債務が極限になることで何かが起こるとして、思い当たることがインフレ以外にないからです。

 こう考えると、ますます「将来への付け」とは何のことか分からなくなります。

 将来、今と違う物価水準となるのは当たり前のことです。日本の消費者物価指数は1994年から変化していませんが、むしろこの状況は異常な事態であり、先進国唯一のデフレ国家と呼ばれています。それは成長の止まった国家と言う意味でもあります。

 日本は世界に例のない、超長期に渡る成長の止まったデフレ国家です。このデフレ状態を将来に残すべきだと言うはずはないので、すなわち、何を将来に残してはならないと言っているのかさっぱり分からないのです。

 将来に最高の社会制度や生活環境を引き継がせようと思うのなら、むしろ低所得者や貧困層を救済する税制や社会保障制度を作り上げなければなりません。また、政府債務を拡大して、公共投資を積極的に行わなければなりません。

 それらの最高の社会制度やインフラを創り上げる政策は、政府債務を拡大することにもなるし、インフレを引き起こす要因にもなります。そのときに、インフレを忌み嫌うのであれば、私たちは将来に残すべき社会制度やインフラを創り上げることは出来なくなります。

 「財政破綻」がインフレを意味するのであれば、将来に良いものを残すためには、むしろ、あえて「財政破綻」を起こすべきであるという結論を簡単に導き出すことが出来ます。

 ところが、「財政破綻」とはインフレのことであるという国民的合意が取れてなく、イメージが混乱しているので、「財政破綻」させようと言うと変な顔をされます。

 政府が「財政破綻」を起こすと言っている者には強力な味方が居ます。それは国民が身に染みている家計の住宅ローンのイメージです。

 そして、日本の政治家や経済学者によって、政府の債務は通貨発行の記録ではなく、住宅ローンと同様の正真正銘の負債であると刷り込まれ続けて来た国民は、この住宅ローンという債務のイメージで政府債務を見てしまいます。

 そして、これ以上政府債務が増えればデフォルトし(返済不能となり)、政府だけでなく国民も物資が手に入らなくなるとかのイメージを持ってしまいます。

 しかし、唯一政府債務らしきものは民間保有国債ですが、これは日銀の金融緩和によってチャラになるもので、住宅ローンとは異なる性質を持っています。

 あえて、政府債務の減少のメカニズムに触れるとするならば、中央銀行制度を採用している国はどこでも金融緩和またはインフレによって「返済す以外の方法はありません。

 金融緩和によって債務を減少させるだけでなく、インフレによって、債務の実質価値を下げることも出来ます。

 住宅ローンを抱えていたときは、インフレが続くことで住宅ローンを組んだ後10年後、20年後には返済が楽になって行ったことを思い出せば、実質価値の減少の意味が理解出来るでしょう。

 言い換えれば、政府債務においては、債務を実質的に(物価やGDPに比較して)減少させる手段はインフレだけであり、つまり、財政均衡主義者が悪魔の如く宣伝している「財政破綻」そのものなのです。

 ただし、政府においては債務を減少させることなどはどうでも良いことです。問題になっているのは個人の住宅ローンではなく、通貨発行権を持つ国家の財政と債務なのに、住宅ローンの返済の手法で政府債務を返済しなければならないというイメージを振り回すのは滑稽です。

 国民の誤解を解く責任は、とりわけ政治家にあります。政治家は国民のリーダーなのですから、政治家がリーダーシップを発揮して間違ったイメージを訂正しなければなりません。

 ところが、日本の政治家自身が住宅ローンの感覚から脱出出来ていないのですから、どうにもなりません。

 世界中のどこの国でもプライマリーバランスを問題とする政治家はいないのに、日本だけは、与党、野党を問わず、全ての政治家がプライマリーバランスの健全化が正義であると信じ、財政規律を唱えています。

 世界の政治家は微弱なインフレではなく、過度のインフレを恐れているのに、日本の政治家は、デフレになっているにも関わらず、微弱なインフレさえも恐れ、プライマリーバランスの赤字や政府債務の拡大に神経を尖らせ、デフレを維持しようと懸命になっているのです。

 所得再分配政策はすべてこの間違った感情にやられてしまいます。

 生産物の量が増えているのに貨幣の供給量が増えていなければデフレになります。だから、生産量が増大しているときは、貨幣の供給量を増やして行かなければなりません。すなわち、政府債務を拡大して行かなければなりません。

 せっかく生産量が増えようとしているのに、緊縮財政政策で貨幣の供給量を絞って行けば、デフレとなり、生産量は伸び悩み、今度は反転して減少して行くようになります。

 その結果、日本は先進国で唯一の経済成長しない国になりました。

 これまでも述べて来た通り、現在の政府が採用している企業会計の書式は、金本位制の頃と同じ考え方で、通貨発行があたかも債務のように記録されますから、通貨発行量を増やすほど、必然として、(現在の会計書式を採用し続ける限り)政府債務も大きくなって行きます。

 しかし、この、政府債務の拡大は、生産量の増大の必然として起こすべきものとして起こた通貨発行量の拡大にすぎません。むしろ、政府債務の拡大は、通貨発行量の拡大であり、生産量(物量)の増大と共に積極的に行われるべきものであって、正しいものです。

 財政均衡(財政緊縮)が許されるのは、景気が過熱し、インフレが激しくなっているときだけであり、普通の経済状態のときに、財政均衡主義で政策を行って行けば一般的にはデフレ不況に突入します。

 ただし、政府債務を拡大しない経済成長の仕方というものもあります。

 それは、富裕層への課税を増加させ、低所得者や貧困層への課税を廃止もしくは減少させ、低所得者や貧困層への所得再分配する方法です。

 富裕層への課税の金額と、低所得者や貧困層への課税を廃止もしくは減少させる金額を一致させれば、政府債務を拡大することなく、限界消費性向の互いから、乗数効果を増大させ、経済成長させることが出来ます。

 さら、常に、富裕層から低所得者や貧困層への貨幣の回流が行われ、完全雇用が達成され、限界消費性向が上がり、国民の消費が活発になり、経済成長が継続します。

 さらに良いことは、経済成長が持続するだけでなく、富裕層から低所得者や貧困層への貨幣の回流が行われることによって、育児、教育、病人、老人などに対する社会福祉も全て達成されます。

 ですから、どのような景気下であろうと、理想は、富裕層から税金を取って、低所得者や貧困層への所得再分配を行う体制が完成していることです。その願いが叶うのなら、政府の積極的財政政策は次善の策と言うことが出来す。

 しかし、富裕層が税金を取られるのを嫌がり、金本位制(兌換紙幣)の下では通貨発行が不自由であり、所得再分配の原資が不足していたので、ケインズは、所得再分配の原資を通貨発行権に切り替えるために管理通貨制度(不換紙幣)を提唱し、そのことによって、今や、全世界は管理通貨制度の国となったのです。

 正に、現代の日本のように、富裕層が税金を嫌がる中にあっては、せっかく管理通貨制度になっているのですから、通貨発行権を行使し、プライマリーバランスを悪化させるべきです。

 それは、低所得者や貧困層が豊かになるための唯一残された手段なのです。

 逆に、インフレ下にあり景気が過熱していると判断される場合でも、したがって、インフレを沈静化するために増税を行うべきと判断された場合でも、富裕層から取る税金である法人税と所得累進課税を増税しなければならず、決して、消費性向の高い低所得者や貧困層に対して増税してはなりません。

 それは、インフレを沈静化出来れば良いというものではなく、景気が良いからといって、低所得者や貧困層に対して増税すれば、今の日本を見れば判るように、国の経済は二度と立ち直れなくなるからです。

 

 

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