以前のように毎日過食嘔吐したいた頃と比べたら、現在では頻度はかなり減った。
たまに過食衝動が来る時はする。
でも、今過食衝動が来て過食嘔吐したとしても、
過食嘔吐全盛期の頃違って、考え方とか変わった。
全盛期の頃は過食嘔吐する自分を情けないとか汚いとか最低とか、
ダメ人間とか、生きてる価値ないとか、
とにかく過食嘔吐する自分を全否定してた。
仮に良い事や楽しい事があったとしても、いつも心の片隅で、
❝私は過食嘔吐してる人❞
と思って、心から楽しめたり喜べたりしなくて、
「私は摂食障害、過食嘔吐してる人なんだなあ、、、」
みたいな、そんな風にいつもマイナスで負の感情を抱いていた。
だから幸せなことがあったとしても、過食嘔吐してる自分は全てがダメ、
ってレッテル貼ってたから何もかもが奥底から楽しめたりできてなかった。
だから表情もいつも暗かったように思う。
過食嘔吐に支配されて、それを言い訳に自分から行動することもめんどくさくて避けてて、
過食嘔吐してるから、、、
過食嘔吐してるから、、、
と頭の中でグルグル支配して、やりたいことあっても、
ああ、でも私は過食嘔吐してるから出来ないな、
過食嘔吐してるから旅行も出来ないな、
とか、ほんとそういう考えしてた。
だから楽しいこと、嬉しいこと、全て無くしてしまっていたのは自分だった。
過食嘔吐してることを言い訳に、自分自身を何も楽しませてあげれてなかった。
でも、今は過食嘔吐しなくなってからの過食嘔吐への考え方とか捉え方が変わった。
頻度が少なくなっただけで、たまに過食嘔吐するし、完全に摂食障害が完治してる訳ではない。
たまに過食嘔吐する時はガムシャラに過食するのではなく、
なぜ過食嘔吐したくなったのか冷静に考えながら、味わいながら過食する。
そうやって過食嘔吐から学べることを生かすようにしてる。
で、過食嘔吐してる自分をダメとか最低とか情けないとか一切感じなくなった。
これ、本気でそう思えるようになったことで過食嘔吐の頻度がものすごく減ったと思ってる。
昔は過食嘔吐したらそればかりを引きずって、また過食衝動を引き起こしていた。
自分を責めることからのまた過食衝動を起こさせていた状態。
過食嘔吐への見方が変わったのは、
❝過食嘔吐は悪いものではない❞
❝過食は自分の一部にあるもので全てではない、悲観的に捉えるものでもない❞
という思いに本気で感じるようになったことからだった。
今は過食嘔吐しても良い意味で忘れてるし、それを引きずってない。
もちろん過食をなぜしたのか、したかったのかを考えてる。
そこからの学びを得てる。
それから過食嘔吐にどっぷりはまるようなこともない。
何かやりたい意欲もあるし、
旅行にも行きたいし、今も旅行する計画をしてるし実行する。
それに向けてまた費用を貯めようっていう気持ちになってるし、
それを考えてるのが楽しい。
これが以前過食嘔吐してた自分の考え方や行動と全く違うところ。
昔は摂食障害の私は何もできないし、どこにも行けないと思っていた。
でもそれは自分がそう思い込んでいたことからの事を自分が現実を創り出していただけだったことに気付いた。
過食費がかかってお金がないから何もできないとか本気でそう思ってて、
だから旅行もできないし何も楽しいことがないんだ、
って思い込んでたけど、
今なら解る、
仮にどんなにお金があったとしても過食嘔吐に支配されていた思考だったら過食費に全てかけるし、
ある意味本当にしたいことが過食嘔吐だったから、
旅行代があったとしても旅行せず過食費に充ててた。
過食嘔吐を全て自分が何もできないことの言い訳にしてたなって気付く。
今だって沢山お金があるわけじゃない。
でも、何かやりたいことや旅行のためにお金を計画的に貯めて実行していこうっていう意欲がある。
頻度が少なくなったっていうだけで、過食嘔吐全盛期だった頃の私も今、過食の頻度が少なくなった私も、
かわらず摂食障害、過食嘔吐持ち、
であることには変わりない。
でも、何か変わったことがあるかと言えば、
『過食嘔吐に対する捉え方や考え方』
がガラリと変わったこと。
だから、
考え方一つで良くも悪くもなるんだなって、身を持って実感する。
全ては自分次第。
人生をどう生きるかは全ては自分次第なんだなって心からそう思う。