いつも何かに違和感を覚えながら生きてきた人生。
この違和感は母からの『やらされてる感』からのことだと気付き、
それまでやってきたことは母からの言葉を間に受けてのことからの自分自身も思い込みや決め付けなどから仕事を選んでやっていたことが分かった。
母に『正社員』として働くことで母に認められたかった、恥じない自分になれたと思ってやっていた、
でも本当は自分のしたいことじゃなかった、だからいくら自分が正社員で働いていてもいつも何かしらの違和感があって、
常にイライラし、母に事あるごとに八つ当たりしてた。
よくよく考えてみたら、今まで好きだと思っていた仕事は全て本当はしたくないことだったということ。
母に『正社員』として働いているということで安心させたい思いや、嫌味や文句を言われなくても済む、
という理由で長年仕事をしていた。
好きだと思って勤めていた仕事は『自分の軸』ではなく❝母の軸❞からのものだとようやく分かった。
ああ、だから私はいつも何か違和感があって、不安でたまらなくて、いつもイライラして、
事あるごとに母に仕事へのイライラを八つ当たりをして、過食嘔吐する、
を繰り返していたんだなって。
そのことに気付いたことや、他に色んなキッカケがあって、
もう、本当にしたいことをしよう、
『誰か』が怒るから、とか、誰か、に何を言われるかを怖がって選択するんじゃなくて、
『自分』がどうしたいか、何をしたいか、
で動かないといけない、
本気でそう思った時に今までずっと一筋でやってきた仕事をすっぱり辞めて、長年続けていた専門職を離れて、
本気で何がしたいかを考えるために一旦立ち止まろう、
❝とりあえず❞でいいから働いて、働きながらしたいことを見つけていこう、
と決めて次の職に辿り着いたのが、今までしたことのない派遣社員だった。
フルタイムの派遣の仕事で勤務日数も21~22日あるから、今までの働き方とは変わらない。
日給でちゃんと日数をこなしていれば月の収入は確保できる。
すごく合わなければ辞めればいいし、続けられれば続ければいいし、
もしいきなり派遣切りに合ってもそれは承知の上、
派遣だしそれは覚悟してるし仕方ないか、
くらいの気持ちでいたから昔のような焦り感はまるでなかった。
❝正社員でなけらばならぬ❞
という縛りや拘り。
そんなものは丸でなかった。
ただ、本当にしたい仕事を見つけるまでの繋ぎ、
そんな気持ちで派遣会社に申し込んだ。
もうガチガチになって考えるのはやめよう、ちょっとのんびり考えよう、
もう、疲れた、、、
自分のそういった思考にもいい加減うんざりして疲れすぎていたから、気楽にいきたかった。
だからもうこれからは全ての基準を❝自分の軸❞で考えよう、
そう決めた。
派遣社員として働くことになった時、扶養などの関係で母にも書いてもらわないといけない書類などがあったから、
その時派遣社員で働くことになった、というのを伝えた時、
「派遣社員て不安定なんでしょ?そんなんでいいの?」
みたいな、快くない表情と言葉を案の定言ってきた。
でも、この時の私はそんな母の言葉にも反応せず、怖がることもなくこう言い返した。
『働くのは私であって、あなた(母)じゃないよね?』
って。
すっごい冷めた言葉で。
これは本音の本音だったし、そう、どんなに嫌味を言われても、私が派遣であっても正社員でなくても、
これは「私」のことであって『母』のことではない。
私は私。私の人生は私のことで、決めるのも私。
一方、母は母であって、「私」ではない。
『私』のやりたいこと、人生を『母』の思い通りにさせることはできない。
例え親子であっても母と私は別人。人生においてもある意味他人。
そんな冷めた言葉の一言で、母は何かを察したのか、それ以上は今後一切嫌味など何も言わなくなった。
これがよかったんだ。
これまでは私は母の言う言葉にいちいち反応してた。
それだから母もそんな私の性格を見抜いて事あるごとに嫌味を言いたくなったんだと思う。
言わば私からも「言わせる隙」を母に与えていた。
でも、本気で自分軸の考えから生きていこうという度胸が付いた時、
なぜ派遣で働きたいか、とか、その時には自分というものをしっかり持ち始めて確立出来始めていたのもあって、
『私が母に言わせる隙を与えなかった』
という状態になっていた、していた。
いや、言わせない、
例え言われても冷静に対処できる、堂々とできる自分になっていたから。
働くのは私であって、母ではない、
この言葉には色んな意味も詰まっている。
働くということだけではない、
これからの人生を生きていくのは私、自分の人生を生きていくのは自分。
だれのせい、や責任でもなく、
全ては自分で決めて行動していかないといけない。
誰か、に決められたルートを生きていくことがこんなにも自我を壊すことだなんて知らなかった。
派遣社員として働き始めた時からようやく自分の軸で生きていけることが出来始めた気がする。
その頃から少しずつ過食衝動がこなくなって、
過食嘔吐したい気持ちがなくなってきて自然にしなくなる日が続いた、という状態になった。
『他人軸』で生きることがいかにストレスで過食嘔吐に繋がる要因になっていたことが分かった。
他人のせい、にしながら生きていくのはストレスでしかないことだと分かった。
良いも悪いも全ては自己責任で、自分で決めたことだと、
もちろん不安や怖いことなどもあるけど、ストレスとは違うものだということだと気付いた。
これが『自信』というものなのかなあ、と。
自信を持てるようになると自然に自己否定などしなくなる。
自分はどんなことがあっても自分なのだと。
これからは『自分』を生きていく。