今まで自分とちゃんと向き合うことをせず、摂食障害で苦しんでこのまま人生を終わるのだと思っていた、今年の8月末までの私。
ほんとにもう疲れちゃったなー
苦しかったなー
何のために頑張っていたのかなー
倒れるまでなんで自分を痛めてるのかなー
痛い、苦しいって心身が悲鳴を上げてるのに、なんでその気持ちを聞いてあげられないのかなー
自分が自分を傷め付けてるのなら、なぜやめてあげないのかなー
いつまでこんなこと繰り返して生きていくのかな・・・・
考えても考えても、摂食障害を手放す方法がもうわからない、
1人で抱え込んでこのまま生きていくことはもう苦しいばかりだ
いいことなんて何一つなかった
今まで自分のしてきたことは無駄だったな
摂食障害抱えながら生きるのはもう限界だな・・・
そう思い、消える寸前でした。
そんな状況の中、生きるきっかけとなる方との出会いで、
私はほんとは生きたいんだ!!
という気持ちが湧き、今度こそ摂食障害を手放し、生きていく楽しさを感じたいと心底思い、今に至ります
今、自分について、過去を振り返ったり、自分はほんとはどうしたかったか、なぜ苦しかったのか、
苦しい、辛いと思いながら、それでも生きていたかったのは、どういう気持ちだったのか、
などを、
ソファでゴロンと横になりながら、目を瞑って回想していました
摂食障害も含め、生い立ちから色んな良いことも、悪いこともあった、
楽しいばかりではないし、凹んで落ち込み過ぎて、悶々とした毎日を過ごしていたこともある。
決して苦しいことばかりではなかった。楽しいこともたくさんあった。
それまでの人生、紆余曲折で、それで今、私はここにいるんだ。
思えば、楽しいこともいっぱいあって、反対に苦しいこともいっぱいあった、
苦しくても、それを救ってくれた人がいたから、また笑顔を取り戻せて、たくさん笑うこともできた。
反対にたくさん笑った後に、たくさんの苦悩もあった。
生まれてきてからの人生と、その中の摂食障害の年月はその繰り返しだったなあって。
そうやって繰り返しながら、ここまで生きてこれたんだなって。
苦しいばかりに目を向けすぎて、自分の人生不幸だらけで何一ついいことなんてなかった、って、
こないだまで本気でそう思っていたけど、
こうして振り返ると、
苦しいばかりじゃない、楽しすぎること、幸せと感じることはたくさんあったなあって、気付いた。
「ないない」思考になってただけで、それ以上に「あるある」もいっぱいあって、
その時に起こった苦難を何らかの形で乗り越えてきたから、
次は笑ったり、幸せを感じることの出会いが待ってて、
そう考えてたら、
今まで、出来たこと、笑ってたこと、楽しいと感じたこと、元気はつらつとしていたこと、有り難い、幸せだと感じることの方が多かったんじゃないかと思った。
ネガティブ思考だと、「ある」ことよりも「ない」ことに気が入ったり、視野が狭くなるから、辛いことの方の感情を人間てキャッチしやすいから、
そこも見直してみたよ。
私は決して苦しいだらけの人生じゃない、
むしろ、それ以上にたくさんの幸せも感じていたよ、
ただ、ネガティブ思考に引っ張られ過ぎて、「ない」に執着しすぎてただけなんだ。
「禍福は糾える縄の如し」
この言葉が浮かんだ。
“幸福も不幸もかわるがわるやってくる”
そうだな、ほんとそうだな、って思ってね
不幸を嘆いていると、いつの間にか幸福となり、幸福を喜んでいるとまた不幸になる、
ちょうどそれは[より合わせた縄のように裏表が交互にやってくる]ということ。
まさにそうだなって。
「人生万事塞翁が馬」「待てば海路の日和あり」「失敗は成功の基」「因果応報」
とか、そういう言葉もたくさんある中で、
「禍福は糾える縄の如し」
という言葉が一番自分の中で響いた言葉だった。
今の私がここにあるのも、嬉しい、楽しい、幸せ、を感じることができているのも、
ついこないだまでの過食嘔吐で人生を諦めかけていたから、
こうして、今感じている前向き気持ちになれることが、すごく嬉しいことも、
その苦しさを体験したからこそ、また良いことが来てくれた。
この言葉の意味が本当に痛感するから、
もしこれから先、生きていく中で、落ちていく場面に出くわしても、
「禍福は糾える縄の如し」
を思い出して、
次は楽しいことが待っている、だからくじけないで、諦めないで、とりあえず前へ少しづつでいいから進もう、そしたらなんとかなるさ
人生、禍福は糾える縄の如し、良いも悪いもかわるがわるやってくる!
だから目の前のことに一喜一憂せず、物事は長い目でみよう!!
この言葉を知ってから、ますます好きになり、過去、そして未来も良い方向に考えることのできた、大切な言葉となりました