作詩家 水木れいじの気まぐれDiary

アメブロにお引っ越ししました!


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ほんとうに長い長い道のりでした。
この栄誉ある日本作詩大賞が始まったのは1968年
私が金光学園、高校2年、17才のときです。
第1回目は星野哲郎先生の『いつでも君は』(水前寺清子さん歌唱)でした。
「かならず僕も とってみせる!」と言って 卒業式で学友に笑われたのは
第2回目を川内康範先生が、森進一さんの歌われた『花と蝶』で
受賞された年でした。
そこから、40年の歳月…
この大賞の第42回目を頂けたということが
私の人生にとって どういうことなのか、
しみじみと噛みしめて、あらためて涙しています。
特に 氷川きよしさん、長良プロダクションの方々…
コロムビアミュージックエンタテインメントの方々…
またテレビ東京、業界関係各位さまには
言葉には表せない感謝の気持ちでいっぱいです!
そして、何より 氷川きよしさんのファンの方々…
武道館はじめ、あちこちの会場でペンライトをもたれて
「愛してきよし!」 「恋してきよし!」と声援を送って
この『ときめきのルンバ』を大ヒットさせてくださった
氷川きよしさんのファンのおひとり、おひとり…
心からありがとうございます!
それから、この「水木れいじ」という名前をつけてくださった
作曲家 浜圭介先生と奥さまの奥村チヨさんに…
名付け親!でも、親のこころ子知らずで
長い長い親不孝を続けてきました。
ほんとうに ほんとうに ごめんなさい!
今こそ、心からありがとうございます!という思いでいっぱいです。
一番最後になりましたが
全国の 水木れいじのファンの皆さま
応援、本当に ありがとうございます!
これからも、この感謝の気持ちを忘れずに精進しますので
変わらず お見守りください! おねがいします!

それから、
皆さまに ご心配をおかけしてしまった、
体調の ご報告をさせてください。
初夏から始まった腰の激痛。
9月の頃は 作詩家として将来云々とか言えるような次元ではなく、
作詩大賞に、自分の足で 立って歩いて出演できる自信さえも無くなり、
1人の人間として、あたりまえの暮らしが送れるということ自体に
希望が持てず、不安と恐怖で 眠れない夜が続きました。
10月中旬に手術を予定し、2週間のスケジュールを空けたものの、
その時期に 山のように仕事の依頼が集中しました。
手術する決断がつかないまま 揺れていたのですが
良き先輩のアドバイスや 良いドクターにめぐり逢え
コツコツと積み上げるリハビリのストレッチ
それから名医の処方による漢方薬を2ヶ月あまり…
このおかげで激痛や痺れから解放され 劇的に回復。
ほぼ元のように日常生活を送れるようになりました。
奇跡だとしか思えない毎日が戻ってきて、3週間目に入りました。
普通の暮らしを 普通に送れることの素晴らしさ
ありがたいことです。感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、もう一つは、メンタルの力です!
たくさんの方々の あたたかいメールやお便りや お電話のおかげです。
特に、氷川きよしさんのファンの方々…
シングルでは、まだ たった一回だけの ご縁の私に
ほんとうに泣けてくるような あたたかい言葉をかけてくださいました。
ありがとうございます!
それから、天童よしみさんには 何度「負けたらあかん!」と励まされて
それが くじけないエネルギーになったかしれません!
ありがたさが、胸にあふれます。
また作詩、作曲家の先輩方、ミュージシャンの方々、
仲良しの歌い手の皆さまや、友達…
ほんとうに ほんとうに、ありがとうございました!

                       感謝の心をこめて…水木れいじ
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