これは言葉ではなく、メッセージというには余りにも広い、深い、愛による抱擁に似ています。
ただ、ただ、胸がいっぱいになります。
この見返りを求めぬ、ある意味一方的であり、圧倒的な愛の波動に、私は何も返せなくなります。
文句も、愚痴も、暴力も、愛ですらも。
幼い頃、浜辺で遊んでいて、波に攫われたことがあります。
小さい私は呆然と澄み切った目の前で、くるくると渦巻く砂や石を眺め、何も出来ず漂いました。
不思議と恐怖は感じませんでした。
例えるならば、それに似ています。
「あなたは何も変わらなくていい」
いつもそう伝えてくるようにも、また
「自由でいて」
そう伝えてくるようにも思えます。
これはきっと私だけにではなく、生きとし生けるもの、全てにそう届けられているのだと思います。
無理に別の人と合わせ、違う道を掻き分けながら歩き、誰にもわかって貰えないと泣く必要もありません。
あなたは、変わる必要はない。
誰かに分かって貰う必要もなく。
ただ、思い出すだけです。
そこから、出てきて下さい。
あなたが今、苦しいのなら、辛く悲しいのなら、人生がつまらないのだとしたら。
「あなただと思い込んでいたもの」から、出てきて下さい。
もちろん、今「そう思い込んでいる」あなたには、それは簡単なこととは思えないでしょう。
この絵をよく眺めてみて下さい。
「本当のあなた」の姿とは、見えないもの。
あなたが見ているものは「本当のあなた」とは言えないのです。
本質の変化を恐れるのは当たり前です。
あなたは、あなたという本質の源を変えてしまうのは、それは恐怖を感じるでしょう。
それは、正しい感覚です。
本質を変える必要など、ありません。
変えるのは、外の世界だけです。
「本当のあなた」というものは、感じるもの。
そして、忘れてすらいないもの。
思い出すということは、昨日したシャツのボタンのかけ違いに気が付くだけのようなものなのです。