徒然なるままに

徒然なるままに

すてきなこと、きれいなこと、うれしいこと、すこしかなしかったこと、そんないろいろを日々つれづれに…。

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コロナ禍となり皆一様に配信をするようになって1年あまり。
Zoom会議なども一般的になり、タブレットやモニターごしに世の中を見つめることに私を含めた多くの人が慣れてきた昨今。
ここ数年は観劇や映画鑑賞の機会を私個人の事情で減らしていたのですが、この1年は世の中の状況がその機会をますます減らし、昨年2月に知人の舞台を座・高円寺で観たのを最後に劇場からは遠ざかっていました。

劇場へ通っていた頃によくおもっていたのですが、お芝居を観にいくということは、概ね面白くないものを見る作業の繰り返しで、ときどき本当に面白いとおもえるものに出会えるそのためだけに時間や労力をただひたすらに消費して足を運ぶ作業であるということ。
そして、これがなんとも不思議なんですが、面白いと思えないものを観たときになぜか思考が研ぎ澄まされ、創作意欲が掻き立てられて制作へのモチベーションが上がるということ。
 

必ずしも面白いものだけを観続けることが人生のプラスになるとは限らない。

 

そんなことも痛感させられ、様々な感情と向き合いながら行き帰りの電車に揺られる時間もある意味楽しかったことを覚えています。


配信は、そういう楽しみとはまた違う形でいろいろなことを考えさせられます。

 

2月21日18時30分から有料配信による

「quackluck & Ami Ikenaga ANNIVERSARY PARTY」

野村貴浩さんがゲスト出演されるとのことで視聴させていただきました。

朗読劇とパフォーマンスが交互に展開される90分の配信で、久しぶりに野村さんのお芝居を観ることができたことは僥倖でした。
こういう機会や場を使って今後もいろいろな顔を見せていただけたら嬉しいです。

 

そしてしみじみ思ったことは、小劇場からのリアルタイム配信をエンタメとして楽しんでもらうには、映像としての利点を生かさないと冗長になりがちなのではないか。

来場客だけを視野に入れた構成や演出だと舞台のダイナミズムはほぼ伝わらないのではないか。

カメラを何台も使って切り替えた映像で見せていたにもかかわらず、そんなふうに感じさせられてしまったのは、そういうことなのではないのかと。

 

シモーヌ談

「(イベントや舞台演劇などの)ライブ配信ってのは、そもそもがぱっと見の「映像の出来」の時点で他の映像作品と比較されると圧倒的に劣後してるよね。

でも制作側や配信側は脳内でそれを補完してしまい差がないことにしているようなところがあってこれ永久に負け続ける勝負をしてるみたいなもんだよね」

 

劇場という閉鎖空間で場の空気を感じながら見せることと、アニメやドラマや映画、音楽ライブ配信などの映像と横並びに比較されてしまう映像配信という形で見せることの違いを、改めて考えさせらた大変貴重な時間となりました。

 

 

写真は恵比寿のリュファバーでいただいたゴルゴンゾーラのチーズケーキ。
まったく関係ないですが、ちょっと忘れられないぐらい美味しかったので。

 

緊急事態宣言が解除された後の世界。
演劇も後戻りできない世界へ踏み出しているのだとおもいます。

10月に視聴した毛皮族の配信は、面白いか面白くないかは別として、映像で見せることを視野に入れた意欲的な編集であったことも思い出しました。