私達が経験したことは
心に深い深い傷となり
破れてしまうギリギリの状態です。
表面を縫い繕うことに成功し
見た目は綺麗に見えていても
一つ皮を剥けば
ぐちゃぐちゃのままです。
同じ経験をした人達は
同じ経験をした人達に対して
さらに一歩進み、
その感情に深く入り込むことが可能です。
相手の心の中の苦しみや
絶望を自分のこととして
感じることができます。
これは、
単なる理解を超え、
相手の痛みに寄り添うことを可能にします。
自分は分かりませんが、
少なくとも同じ経験をした人達を受容し、
非審判的な態度で接することができます。
自死という出来事に対する反応は
人それぞれであり、
その悲しみの形も様々です。
個別化の視点から、
各遺族の経験や感情を尊重し、
一つの枠にはめることなく
その人の物語として
その痛みを受け入れます。
私自身も
この痛みを乗り越えることは
難しいと感じています。
しかし、
エンパシーを通じて
互いの心の痛みを理解し、
寄り添うことで、
少しでも心の重荷を
軽くし合うことができるのだと思います。
それは人を選びます。
やはり、同じ経験をした人達をお互いに選びます。
1割程度は
同じ経験がない人の言葉にも惹かれることはありますが、ほとんどないです。
共に悲しみを感じ、
共に歩むことで、
孤独な道を少しでも………
和らげていきたいという気持ちが
残っているからです。
経験していない外部からの声に、
心を閉ざしてしまいます。
だから
私達は
ここに来ているのだと思います。
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