大体いつも月替りの一週目の終わりが写経の日だったりするので、危うく失念するところでした。


月に1回、写経に行き始めて27回目。

2年以上行ってるのですね。

 

行き始めた当初とは、写経中の気持ちも変化してきています。


ここから下は、気分を害する表現があるかと思いますので、読みたくないと思ったら読まないでくださいね。






当初は 

「もし、妻が人より暗く辛く苦労の多い道を歩かざる負えないのであれば、写経を送ることによって少しでも光の差す道を行く手助けをしたい」


そんな思いで必死でした。


「自死した妻は、そういう普通より苦労の多い別の道を行かざる負えないのかも知れない」


そんな考えが、頭の中にはあったからだと思います。日本仏教も拡大解釈すると否定と捉えられるようですし、キリスト教も明確には否定してますもんね。 


「自死=悪」ということが、潜在意識に刷り込まれているのでしょうね。

状況や精神状態など、分かろうともしないで潜在意識に刷り込まれた「悪行」という意識だけが先行している…。


だから、同じ経験を経ていない人達からは。

命に触れたことのない人達からは。


平気で言ってる人は居ますよ。

「一生地獄で苦しむ」

「浮かばれない」

「永遠に自○時の状況を繰り返すことになる」


なんの免疫もなく、

愛する人をこのような言葉で穢されたら耐えられませんよ。

それが残されたモノを

どれだけ傷つける言葉かも想像する力も無い馬鹿どもが(あるいは傷つける為に故意に)、ただ、勝ち誇ったように言ってるだけです。


誰も真実は分からないのにです。

あんた達、さも知ってるように言うけど何を根拠にしてるの?と聞いてやってください。


抽象的なことしか言えませんから。

根拠なんてない。


要は、「言いたいやつには言わせといたらいい」  

です。

「あっそ。それはどうもありがとう。ほんで、あんた達は何をしてくださるの?」とでも返しとけばいいですよ。


激昂してきて

話がズレて来ました、すみません。


自分が出来ること。

やってあげたいことを、してあげればいいです。


毎日話しかけることであったり。

好きな曲を一緒に聴くであったり。

好きなアニメやドラマを一緒に観るであったり。

思い出の場所に一緒に行ったり。


人それぞれだと思いますが、その中の一つが私にとっての写経です。


妻はペン習字を習っていました。

いつも課題を嬉しそうにやっていました。

そうした「集中する時間」を持つことも精神的に良いものだったのだろうと、今はすごく思います。


だから短時間集中する写経は。

妻はやったことはないのですが、きっと好きだったろうなと思っています。

だから気持ちは一緒にやっています。


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