こんばんは。

すっかり紅葉していたのですね。

あまり近くの景色を見ていませんでした。


私が車を手放し、身に着けていた服などもほとんどを「入れ替えて」から2年になります。

一周忌前の時期でした。


とにかく何もかも、どんどん手放したい気持ちだったのですね。

何もかも変えたい…。


一周忌の時に、妻の服や装飾品や小物は(私には手を付けることが無理だったのでお願いして)姻族の皆様のご好意と協力で仕分けしていただきました。


持って帰っていただけるモノ。

置いていくモノ。

処分(リサイクル)に出すモノ。


妻の服は軽装の一セットだけ、私の手元に残させていただきました。

下着なのは全て処分するモノの中に仕分けましたが、後から一セットだけ、回収して手元に残しました。


仕分け協力が無かったら、今もそのままにしていたと思います。

いつまでもそのままにしていたのかも知れません。

妻の思い出と有形の形があるモノと。

もうずっとその中で動きたくなかったかも知れません。(それに対して否定はしません)


全ては妻のバラの花がさいてくれた時。

濁った池のような私の心を掻き混ぜて、水が循環するようにしてくれたから。


今は、その妻のバラの花も枯れてしまいました。復活は無いと思います。

有形物はいつか朽ちてしまうモノかも知れませんが、その時より、今の方が辛く思います。


徐々に徐々にと、私の気持ちの部分を削り削りしているようで悲しみの感情も麻痺してきました…ような感覚です。


急に地方出張などに行かざる負えなくなった仕事も負担としてあり、紅葉を愛でる余裕もありませんでした。猫の世話をどうしようかの心配もかなりの負担です。


そんな気持ちから2年経た今は。

何も手放したくないないです。

手放すモノは手放したから、なのか。


妻が好んでいた柔軟剤「ランドリン」。

妻がいつも使っていた「毛布」。

妻が毎日乗っていた「原付」。


今は、何も変えたくない気持ちです。

あの頃とほとんど変わっていない

妻の実家で一緒に暮らしたい。


未来をみるより

過去を振り返っています。


お墓や仏壇の前で妻と話す時も、

私の感情は淡白です。

頭に何も入っていない状態です。


何もかもがむなしく思ってしまいます。


ただ、猫の責任は生涯果たします。

猫のパールは、こんな私にも全幅の信頼を表現してくれます。

私も最大限の愛情を持って、一緒に暮らして行きます。




毛布に擬態しました。保護色です。




そんなに安心して寝てくれるのか?



眩しいニャア。
いい顔してるね。

いつもありがとう。


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